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「え」 えのきの下 静かに眠る 天狗党

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 ページID:0016050 更新日:2020年7月22日更新

「え」

【読札解説】

 激動の幕末、「攘夷(じょうい)」(外国を追い払うこと)を掲げ、水戸浪士を中心として結成した「天狗党(てんぐとう)」と称する若者たちがいました。天狗党は、幕府が米国と結んだ日米修好通商条約に基づいて開港された横浜港での外交封鎖を目的に筑波山で挙兵しました。幕府は天狗党の取締りを諸藩に指示し、幕府軍・棚倉藩兵の攻撃を受け、元治元年(1864年)9月に天狗党の一派が鹿嶋に逃れてきました。天狗党は大船津から舟で行方へ向かおうとしますが、幕府軍の砲撃で転覆し、舟中の人々は、水中に飛び込んだり自害したりし、鹿嶋では23人が召し捕えられ、下生(しものう)地区の石橋杭などで打ち首にされました。23名の遺体は、 大掾辺田(だいじょうべた)の馬捨場へ埋められました。今、大掾辺田には、明治時代になり、斉藤俊(鹿島郡初代郡長)より建立された「殉難諸士乃墓(じゅんなんしょしのはか)」が残っています。現在は鹿嶋市指定史跡となっています。


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