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【読札解説】
鹿島神宮の奥宮から、南のほうに歩いていくと林の中に、柵に囲まれた場所に直径30センチメートルくらいで中心が少し窪んだ石があります。これが要石です。
古来より地震抑えの石として有名でしたが、特に注目されるようになったのは、江戸時代の安政の大地震(安政2年(1855年)10月2日)です。地震は地中にいる大鯰(おおなまず)が暴れることにより引き起こされるものと考えられ、それを押さえつけているのが要石でした。安政の大地震は10月に神様が一堂に出雲大社に集まっているときに起きたため、武甕槌神(たけみかづちのかみ)も留守にしていたため要石が外れて、地震が起きたと考えられ、地震直後に鯰絵が大流行します。鯰絵は願掛けや地震除けのお守りなどの役割のほか、当時の世相や庶民の感情を軽妙に伝えており、2ヵ月あまりで220種類以上の絵が作られました。
また、徳川光圀が石の底を探ろうと、領内の百姓数十人を集めて、要石の周囲を七日七夜掘らせたが、掘った穴は一夜にして毎回埋まってしまうため、遂に諦めたという伝承があります。