本文
【読札解説】
天智天皇2年(663年)に白村江(はくすきのえ)の戦いで唐(現在の中国)・新羅(現在の韓国の東側にあった国)の連合軍に大敗した倭軍(古代の日本)は、連合軍が攻めてくる危機を感じ、天智天皇3年(664年)、対馬、壱岐、筑紫国(現在の長崎県と福岡県の北側沿岸部)に防人(さきもり)を配置して守りを固めました。はじめのころ防人は、遠江(現在の静岡県)以東の東国からおもに集められ、九州に赴きました。防人に選ばれた人たちは鹿島神宮で旅の安全と無事に故郷へ帰れることを祈って出発しました。これが“鹿島立ち”の起源です。
現在も旅の安全を祈って良い旅であるよう願いをこめて旅に出発することを“鹿島立ち”と言われています。