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【読札解説】
源頼朝は、後に鎌倉幕府と呼ばれる東国に独立した武家政権を築いた人で、当時権勢を誇っていた平氏一門を打倒するため、坂東武士と呼ばれる武士たちとともに関東で挙兵し、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼします。
鹿島神宮は、武の神として崇敬されていましたので、源頼朝も挙兵の翌年(治承4年(1180年))、日立地方の三か所を社領として鹿島神宮に寄進しています。また建久2年(1191年)に、神宮の占いにより戦乱の予知を聞いたとき、平和を願って神馬(しんめ)を奉納したと伝えられ、この時に一緒に奉納された鞍(くら)(梅竹蒔絵鞍附四手蒔絵居木一双(うめたけまきえくらつけたりしでまきえいぎいっそう))が国の重要文化財として今も鹿島神宮に伝わっています。