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【読札解説】
平安時代末頃の鹿嶋では、常陸平氏(大掾(だいじょう)氏)の一族である吉田清幹の三男成幹が鹿島郡を支配し、鹿島三郎と名乗っていました。鹿島城は、その成幹の子・政幹が、宮中地区の吉岡と呼ばれる地に築城した城です。現在の城山公園に本丸(城の中枢)があり、そこから南は鹿島高校の先の国道51号線のあたりまで、東は鹿嶋市商工会館がある辺りまで鹿島城の城内でした。その後、成幹・政幹の子孫は、代々鹿島氏を名乗り、領地を受け継ぎましたが、戦国時代・天正19年(1591年)二十代城主・鹿島清秀の代に佐竹氏に敗れ鹿島城は落城しました。今は本丸跡地が城山公園として鹿嶋市の桜の名所になっています。