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「つ」 塚原卜伝 鹿島新当流

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 ページID:0016036 更新日:2020年7月22日更新

「つ」

【読札解説】

 塚原卜伝は延徳元年(1489年)に鹿島神宮の神職卜部家(しんしょくうらべけ)、吉川左京覚賢(よしかわさきょうあきかた)の次男(幼名は朝孝)として誕生、幼少の頃に沼尾の塚原城主塚原土佐守安幹の養子となり、後に元服して塚原新右衛門高幹と名乗ります。

 幼少の頃から実父に鹿島の太刀、養父の安幹に香取神道流を学び、永正元年(1504年)、16歳ごろで廻国修行に旅立ち、その後、大永3年(1523年)、弘治3年(1557年)と全部で三回の廻国修行を行い、元亀2年(1571年)83歳の生涯を閉じました。一回目の修行を終えて帰国すると、鹿島神宮に千日籠って精神修行に励み、やがて悟りを得た卜伝は「一の太刀(ひとつのたち)」を完成させます。

 親子が、兄弟が、血で血を争う戦国時代にあって「剣は人を殺める道具にあらず、人を活かす道なり」(活人剣(かつじんけん))と平和思想をもって生きぬいた卜伝を、いつしか人々は剣聖の名でたたえました。その流儀は後に鹿島新當流(茨城県指定無形文化財)として今も伝えられています。


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