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鹿嶋市内の地名の由来(鹿嶋市の変遷から見る)

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記事ID:0050009 更新日:2024年2月29日更新

“鹿嶋市”の変遷から見る

 江戸時代までは、字(あざ)ごとに村が形成されていましたが、江戸時代が終わり明治時代になると、明治21年に市町村制が公布されて町村合併が実施されました。その後、昭和の大合併、平成の大合併を経て鹿嶋市が誕生しました。

 当初、市名称は「鹿島市」とする案が出ていましたが、佐賀県鹿島市が同名称を昭和29年から使用していたため同名では混乱することから、シマの漢字を変えて「鹿嶋市」となりました。そのため「鹿嶋市立鹿島小学校」など、市内には「鹿島」の字と「鹿嶋」の字が混在しています。

鹿嶋市の変遷

​明治の大合併

明治22年に下記の町村が誕生しました。

鹿島町

  • 宮中
  • 根三田

高松村

  • 佐田
  • 下塙
  • 谷原
  • 長栖
  • 国末
  • 粟生
  • 木滝
  • 鉢形
  • 平井
  • 泉川

豊津村

  • 大船津
  • 爪木

豊郷村

波野村

大同村

中野村

昭和の大合併

 昭和29年に鹿島町・高松村・豊津村・豊郷村・波野村が合併し鹿島町が、昭和30年に大同村と中野村が合併し大野村が誕生しました。​

平成の大合併

 平成7年に鹿島町と大野村が合併し鹿嶋市が誕生しました。

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