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かしまと講
記事ID:0050183
更新日:2021年3月29日更新
昔は、共同で何かをすることで村の生活が成り立っていました。田植えをしたり、家を建てたり、道路などを改修したりなど、多くの事柄が村の共同体の中で行われてきました。この共同体制を支えてきたのが「組(くみ)」制度です。村はいくつかの「組」に分かれており、地区によっては現在でも、葬式の際に近隣の「組内」が手伝いを行うなど、この「組」の制度が僅かに残っています。
この「組」を維持するために、信仰的な繋がりも必要でした。これが「講(こう)」です。講は、年齢別・性別等によっていくつかの種類がありますが、「安産」「郷中安全」「五穀豊穣」を信仰の目的としていました。
この講は江戸時の中期頃には村々に普及し、村人たちは村の鎮守の氏子として集団規制を受けつつ、一方では講の一員にもなるという神仏混淆の信仰の中で組織の結びつきを深めていました。
20歳~40歳くらいの男性(一部の地域では女性)の講
神野地区の人々によって行われていた三夜講
結婚してから子供を産むことができる年齢の女性の講
45歳~60歳くらいの女性の講
50歳~60歳くらいの女性の講
大体60歳以上の女性の講
大体60歳以上の人の講
大体60歳~65歳・70歳以上の女性の講
鹿島郡下の約120地区を巡拝する
その他
江戸の庶民たちに盛んに行われた講
参考文献:『鹿島町史第2巻』