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豊郷台地区発掘調査
豊郷台地区発掘調査
鹿嶋市沼尾の豊郷台地区では、県営畑地帯総合整備事業における道路整備に伴い、開発で失われてしまう埋蔵文化財の記録保存のため、令和4年度より発掘調査が行われています。
発掘現場空撮写真
県営畑地帯総合整備事業豊郷台地区の位置図
豊郷台地区と『常陸国風土記』
奈良時代初期に成立した『常陸国風土記』には、「その社の南に、郡の役所がある。社の北は沼尾の池である。〈中略〉以前に郡の役所の置かれた所であって…〈後略〉」と記載があります。
社(鹿島神宮)の南の郡の役所・「郡家(ぐうけ)」については、発掘調査で大溝の跡や炭化米などの遺構・遺物が発見されたことから、鹿嶋市宮中の神野向地区にあったことがわかり、「鹿島神宮附郡家跡」として国の史跡に指定されています。「沼尾の池」は豊郷台地の南側から東側にかけて広がる「田谷沼」のことと考えられ、以前の郡の役所=「旧郡家」があったとされていますが、まだ明確な場所は見つかっていません。
参考:常陸国風土記に記された”鹿嶋”
古代の郡役所跡―鹿島郡家(かしまぐうけ)
「田谷」・「田谷沼」地名の由来と歴史
「沼尾」地名の由来と歴史
今回調査が行われている豊郷台地区の「梶内遺跡」・「大門遺跡」は旧郡家の推定地の一つとされている場所でもあります。
発掘調査速報
令和5年までの調査では、梶内遺跡の調査区から、古墳時代から平安時代の竪穴建物跡を中心とした集落跡が見つかっており、奈良時代の竪穴建物跡に付設されたカマドには、東北地方の影響を受けた長い煙道(排煙のためのトンネル状の設備)が見られるものもあります。
カマドは古墳時代中頃から大陸から伝播したものと言われており、それまでの住居は縄文時代以来の竪穴住居の中央に炉を設けていました。
梶内遺跡の別のカマドの中からは、土師器甕(はじきかめ)や須恵器坏(すえきつき)が出土しています。
左側の茶色の土器が土師器甕です。土師器は縄文時代・弥生時代から続く伝統的な方法で作られた素焼きの土器で、赤褐色や暗褐色を呈します。甕は煮炊きに使われていました。
右側の灰色の土器が須恵器坏です。古墳時代中頃に朝鮮半島から伝わってきた須恵器は、青灰もしくは灰色の色調で硬く焼き締まり、左右のバランスが取れた端正な形をしています。これは、窯(かま)を使用して1000度以上の高温で焼かれたこと、また、器を作る際にろくろを使用したことによります。坏は食器として配膳用に使われました。
今回の調査区域には他にも、13基の円墳から構成される「須賀古墳群」や、鹿島氏(常陸大掾氏の一流)の庶子・塚原氏の館と推定される「塚原館跡」も含まれています。
令和6年12月21日~令和7年2月23日、ミニ博物館ココシカ<外部リンク>(鹿嶋市宮中一丁目5-23)では「鹿嶋郷と沼尾郷」と題し、豊郷台地区発掘調査についての鹿嶋市どきどきセンター<外部リンク>による中間速報展を開催する予定です。
※遺構の解釈などについては、令和6年11月1日現在のものであり、今後調査や検討によって変更する可能性があります。また資料の引用・掲載はご遠慮願います。
参考文献
『図説 鹿嶋の歴史 原始・古代編』財団法人鹿嶋市文化スポーツ振興事業団 平成18年3月1日発行