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弥生時代のムラと住居
記事ID:0050026
更新日:2021年3月29日更新
弥生時代になると稲作が始まり、食糧を生産できるようになってきました。住居は、竪穴住居に住んでいました。
鹿嶋市木滝地区の国神遺跡からは、弥生時代中期~後期の住居やお墓の跡が見つかっています。
この時期の住居跡は隅が丸く、小判形をしたものが多く、1辺の長さ5m程で20平方メートルくらいの広さがあり、中央からやや北よりに煮炊きをする炉が作られています。炉の周りからは、黒く炭化した米が出土しており、国神遺跡に住んでいた人々が米を食べていたことが推測されます。南には、出入り口に使用したと考えられる小穴があります。
出入り口から炉の周辺の床はよく踏み固められ、土間として使用されていたと推測できます。壁際はさほど固くなっていないため、寝る場所や道具をおいていたところと考えられます。
国神遺跡から出土した土器棺墓は5基で、副葬品がほとんど認められず、階級差が感じられないことが特徴です。また、使用されている土器は在地ものばかりでなく、他の地域のものも存在するため、被葬者の出身や何らかの交流があった地域の土器を使用したものと考えられます。
参考文献:『鹿島町の文化財第26集 国神遺跡』~『鹿島町の文化財第74集 国神遺跡V』(発掘調査報告書)