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古代の郡役所跡―鹿島郡家(かしまぐうけ)

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記事ID:0050033 更新日:2021年3月29日更新

古代の常陸国鹿島郡は、鹿嶋郷(かしまのごう)や松浦郷(まつうらのごう)など十八の郷からなる神郡で、古代の鹿島郡内を治め、税の聴き取るや政務を行っていました。神郡とは、伊勢神宮がある伊勢国度会郡や、香取神宮のある下総国香取郡など全国に8つしかなく、大化の改新後に、特別な役割を持つ大きな神社を支えるために設けられた神領です。神郡内の税金は、神社の修理費用や祭祀に必要な品を購入する費用として当ててよいと決められていました。

郡役所は当時、「郡家(ぐうけ)」と呼ばれ、奈良時代に編纂された『常陸国風土記』の写本にも、「郡家」 と記されています。(※奈良時代の原本は現存せず、原本を書き写した後世の「写本」が現存しています。)

常陸国風土記の画像

『常陸国風土記』には「其社南郡家」と書かれています。これは「其の社(鹿島神宮)の南に郡家がある。」と読み下すことができます。昭和54年に行われた発掘調査では、この記述を裏付けるように鹿島神宮の南に位置する鹿嶋市宮中の神野向地区から、古代郡家に関わる大きな溝や黒く焼けた米(炭化米)などが発見されました。この大溝は、税を納めた倉庫群を囲む溝だということが分かり、黒く焼けた米はその倉に納められたもので、倉が火災にあったということが推測されます。また布目瓦や銅製の帯金具(ベルトのバックル)など、当時の役所施設や役人クラスの人物に付随すると考えられる装飾品等が出土したことから、昭和61年に国の史跡に指定されました。H26年度の小学校副読本作成の際に撮影したものに文字を後から加えたもの。

其社南郡家の画像

現在では7万平方メートル余りの広大な土地が史跡として指定され、これまでの発掘調査で、役人が政務を執り行った「郡庁」、米など税として聴き取るしたものを納める「正倉院」、台所施設である「厨家」と推定される建物跡、そして正倉院を囲んでいた幅4~5m(深さ1.5m~2.5m)の大溝が発見されています。また、「厨家」跡近くからは「館」と墨書された土器が出土していることから、国司などの要人が宿泊するための施設「館」も厨家に接近した場所にあったと推測されています。

鹿島郡家全体図の画像

更に『常陸国風土記』には「前郡所置」という記載があり、これは更に前の時代に別の場所に郡役所があったことを示しています。

2常陸国風土記の画像

「其社 南 郡家 沼尾池 (中略)前郡所置 多蒔橘 其實味之」

その社の南に郡家あり。北に沼尾の池あり。(中略)前に郡の置かれし所なり。多く橘を蒔ゆ。その実味し。

要約すると、「鹿島神宮の南には郡家があり、北には沼尾の池がある。(中略)この地は以前郡役所が置かれていた所である。橘がたくさん植えられていて、その果実は美味しい。」と書かれており、以前の郡役所が沼尾の池の周辺にあったことが分かります。鹿嶋市教育委員会では、この旧鹿島郡家の推定地である鹿嶋市沼尾地区周辺の学術調査を行っていますが、旧鹿島郡家はまだ発見されていません。

避難所混雑状況