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縄文時代の集落跡
記事ID:0050023
更新日:2021年3月29日更新
鹿嶋市には北浦湖岸を見下ろす台地上に縄文時代の暮らしの跡が点々と残されています。
市内の縄文時代中期(約5500~4500年前)の代表的な集落遺跡としては、鹿島神宮駅の北側に所在する厨台遺跡・鍛冶台遺跡・円龍台遺跡・片野遺跡や、田野辺の塩釜神社の周辺に所在する塩釜遺跡などがあります。厨台遺跡・鍛冶台遺跡・円龍台遺跡・片野遺跡は総称して「厨台遺跡群」とも呼ばれますが、この厨台遺跡群からは発掘調査で竪穴住居跡が約133軒も見つかっています。
一般的な縄文時代の竪穴住居は、平面が円形・楕円形・隅丸方形が主で、規模は大型の住居で8.2m×7.05m程(約14坪)です。
発掘調査をすると、床面は土間のようにカチカチに堅くしまっていて長年暮らしていたことがうかがえます。柱穴は4~6本ほどあり、床面の中央には炉があり石や土器片等で囲われています。
上の写真は鍛冶台遺跡から見つかった竪穴住居跡です。中央の土の色が変わっている所が煮炊きをした炉があった場所です。
何を獲ったの?縄文時代の落とし穴!
鹿島神宮駅の北側にある円龍台遺跡から片野遺跡にかけて、縄文時代の落とし穴が42基続いて見つかっています。全長260m、落とし穴の間隔は約6.3m。一基の大きさは平均して1.5m×1.2mで深さが確認面から1.5mで底部はすぼまっています。
落とし穴は、台地の縁辺部に弓状に一列に配置されていますが、具体的に使われていた時期や何を捕まえていたかは分かっていません。