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常陸大掾平氏と鹿島

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記事ID:0050045 更新日:2021年3月29日更新

常陸大掾平氏の系譜―鹿島氏

東国坂東の地に勢力を誇った常陸大掾平氏(ひたちだいじょうへいし)は、平氏の一族で、桓武天皇の血を引き、祖は平維幹(たいらのこれもと)とされています。
維幹は、平忠常の乱の鎮圧者としても知られ、『今昔物語』に「兵(つわもの)」として登場する人物でもあり、維幹は将門の乱の功労者である平貞盛の弟、繁盛の子にあたります。
そして維幹のひ孫・吉田清幹の三男・成幹(しげもと)が鹿島郡を支配し、「鹿島三郎」を名乗ったことから、鹿島氏は始まります。

成幹(しげもと)の子ども達

鹿島氏は、当初は鹿嶋市粟生に本拠(粟生城)を構えていたようですが、のちに鹿嶋市城山に吉岡城(鹿島城)を築城し、鹿島城を本拠として鹿島郡内に勢力を伸ばしていました。

鹿島城跡空撮

成幹(しげもと)の子どもらは、三男・政幹(まさもと)を惣領とし、長男親幹(ちかもと)、二男・保幹(やすもと)、五男・久幹(ひさもと)、六男・頼幹(よりもと)が鹿島郡内にそれぞれ拠点を構えて惣領を支えていく、領主制を確立していきました。

長男・親幹(ちかもと)
徳宿(鉾田市)を拠点として「徳宿権守」を名乗る。(徳宿氏)

二男・保幹(やすもと)
茨城町を拠点に神谷戸氏を興す。(神谷戸氏)

五男・久幹(ひさもと)
立原(鹿嶋市和)を拠点とし、「立原五郎」と名乗る。(立原氏)

六男・頼幹(よりもと)
林(鹿嶋市林)を拠点として、「林六郎左衛門」と名乗る。(林氏)

更にその孫や子孫らが、烟田(鉾田市)や安房(鉾田市)、中村(鹿嶋市中)、沼尾(鹿嶋市沼尾)、田野辺(鹿嶋市田野辺)、宮崎(茨城町)、中居(鉾田市)、梶山(鉾田市)、阿玉(鉾田市)等を拠点とし、時代が下るに従って地名を己の名字として、多数の分家が生まれました。

参考文献:『図説鹿嶋の歴史 中世近世編』

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