本文
明石家文書「御年貢の事」其の二
其の二:「亥御年貢可納割付之事」 鹿嶋郡明石村
(『明石家文書』より)
其の一の文書から八十年後の安永8(1779)年に出されたもので同じ年貢の指示書ですが、ここに示されている本年貢の石高と反別(土地の面積)はこの時代の明石村の他の文書に共通するもので、その算定根拠はここに明白にされています。其の三の検見に関する文書にも用いられており注目しました。
原文1
解読1
(解読:鹿嶋古文書学習会)
解説1
ここは元来の田と畑(本田と本畑)にかかる年貢高とその面積(高と反別)を表していますが、それに加えてこの田と畑それぞれの等級別面積も内訳(此訳)として示しています。
これらを分かりやすく表にしてみました。
石高 | 反別 | 年貢高 | ||
---|---|---|---|---|
石.斗升合 | 町.反畝 歩 | 石.斗升合 | 貫. 文 | |
田 | 57.219 | 6.2609 | 34.335 | - |
畑 | 11.548 | 1.4113 | - | 0.680 |
計 | 68.767 | 7.6722 | 34.335 | 0.680 |
田 | 町.反畝 歩 | 畑 | 町.反畝 歩 |
---|---|---|---|
中田 | 0.4218 | 上畑 | 0.0526 |
下田 | 5.8321 | 中畑 | 0.0922 |
‐ | ‐ | 下畑 | 0.6001 |
‐ | ‐ | 屋敷 | 0.6524 |
計 | 6.2609 | 計 | 1.4113 |
この年貢指示書は「小以(こい)」という小計欄を設けて、ここに田と畑を合わせた年貢高(米納と金納)を表示しています。小以は本田畑と新田畑にそれぞれ設けられており、それを合算して「取合」としそれに雑税を加えて「納合」として総年貢高としていますので、年貢高を積み上げていく上では非常に分かりやすい表現法となっています。
ただ、田・畑夫々の等級別面積が出ているものの、その収穫高や年貢の取り高も記載されていないので、この指示書は不完全なものとなっています。
これに関連して、この指示書の最初にある「検見取」に注目したいと思います。「検見取」は年貢をその年の収穫高に基づいて決めるやり方で、この収穫高は百姓立会の下に便宜上土地の等級別に決められた関係で等級別面積が掲載されたものと推定されます。
なお、上に述べた等級別土地単位収量の記載がないのは不可解な一方、年貢取り高については例年通りの数字が用いられたので強いて記載されていないと考えられます。
原文では次に新田新畑の分が続きますが、上記本田畑と同様ですので省略し、続いて「外」(ほか)として記されている雑税とそれに続くまとめの部分を見ていきたいと思います。
原文2
解読2
(解読:鹿嶋古文書学習会)
解説2
本編の頭書部分に年貢の仕組みとして、年貢には本年貢(本途物成)と雑税(小物成)のある事を述べましたが、ここでは「外」として次の7つの雑税が列挙されています。
- 新船役
- 山役釜役船役
- 新釜役
- 濱運上
- 御傳馬宿入用
- 六尺給
- 御蔵前入用
これらの項目から判断すると当時の村の生計は田畑からの作物に加え、山、船、塩(釜)などにも頼っていたことが分ります。
しかし、当時の社会経済の仕組みに疎くなった我々には、これら雑税の課税対象と課税方式など詳しいことは知る由もありません。これについては、別の研究資料に譲りたいと思います。
さて、この年の年貢総額は、上記「納合」に米35石1斗9升4合と永3貫506文7歩と確定されています。そこでこの総額に至る集計経緯を下の表にまとめました。
石高 | 反別 | 年貢高 | |||
---|---|---|---|---|---|
石.斗升合 | 町.反畝 歩 | 石.斗升合 | 貫. 文 | ||
小以 | 本田 | 57.219 | 6.2609 | 34.335 | - |
本畑 | 11.548 | 1.4113 | - | 0.680 | |
計 | 68.767 | 7.6803 | 34.335 | 0.680 | |
小以 | 新田 | 1.152 | 0.2824 | 0.670 | - |
新畑 | 2.780 | 0.6915 | - | 0.528 | |
取合 | 小以+小以 | - | - | 35.005 | 1.208 |
外 | 雑税 | - | - | 0.189 | 2.298 |
納合 | 取合+外 | - | - | 35.194 | 3.506 |
この指示書は幕府の代官で当時この地方を治めていた川崎平右衛門の名前で出されています。そして最後に「凡ての百姓が立会いの下で決めたものだから年貢を12月10日までに完納するように」と厳しい命令が下されています。