本文
2.文久3年4月 下総国の旧家臣・親戚・縁者へ挨拶回り
(『惣大行事日記』より)
使者を遣わしての上郷・下郷への「旧臣回り」に加え、文久3年4月22日~25日には鹿島丹下自身が下総国大寺村(現在の千葉県匝瑳市)・松崎村(現在の多古町)を訪れ、旧家臣・親類・縁者へ挨拶回りを行いました。
大寺村は丹下の母・千代子が居住しており、丹下は鹿島を追放された約20年間この地に住んでいました。大寺村の桑田重郎兵衛は丹下の従兄弟で、丹下にとって物心両面の援助者です。鹿島へ帰住が許されたとはいえ、欠職中の丹下は従来受け取っていた200石の職料がもらえず、財政は苦しい状況でした。23日には八日市場の灰十こと醤油屋の灰吹屋十兵衛に25両の借金を依頼しています。金策もこの旅の目的の一つだったようです。
鹿島へ戻ってきた25日の日記には、旅費やお土産など、経費の一覧が記録されています。4日間の総費用は1両600文に上りました。
読み下し文
(四月)二十二日
朝鹿島出立。息栖通り、小見川中飯にて、八ッ時過ぎ大寺村重郎兵衛へ着。土産、茶二百文・手拭一、その外小高又之進よりの届け物遣わす。直ぐ様重郎兵衛殿一同にて利右衛門へ風呂敷一、半紙二持参。今川屋へ手拭い一、茶二百、外に小高より届け物。右両家主留守にて面会せず。それより越川氏へ行く。中宿へ一寸立ち寄り候。
越川へ上菓子折一持参。馳走に相成り、今晩越川氏へ泊る。
二十三日 晴
朝越川より飯森塚へ帰りがけ、六郎兵衛・はつ屋佐吉・弥助・藤兵衛・太兵衛・与右衛門・伊兵衛方へ立ち寄り候。右近所、太兵衛・藤兵衛・伊右衛門・与右衛門へ手拭い一筋ずつ遣わす。吉左衛門へも遣わす。
一、四ッ時より利右衛門頼み、八日市場灰十方へ行く。五匁の折一つ遣わす。金子の儀申し入れ候処、二十五両、二十八日までに貸し呉れ候積り対談。証文渡し、手形受け取り参り候。近郷釜屋へ寄り候処、肴物を大寺まで見舞いに遣わし候由申され一礼致し、それより買物など致し、夕方までに大寺へ罷り帰り候。利右衛門へ酒振る舞い帰す。
一、越川氏より迎えの者来たる。後刻書面にて断り遣わす。
一、聖禅寺へ手拭一、龍尾寺へ菓子一袋、右持参にて逢いに参り候。
一、今晩弥助・喜平母一同一樽宛(ずつ)持参。見舞いに来たる。酒振る舞う。
二十四日 晴
今朝、今川屋来たる。
越川氏参られ、今日招きたき由の処、今日は松崎へ参るべくと存じ候間、その支度にて出かけ、越川氏へ参り候処、種々馳走これ有り。
龍尾寺春泰など同席。祖母も参り暮に及び退き、それより六郎兵衛新坂へ見舞い候。新坂へ茶二百文遣わす。それより今川屋へ参り、今晩今川にて馳走に預かり泊まる。尤も十郎兵衛同座。今川屋へ藤兵衛・庄治郎両人、手前へ見舞として酒持参。一同宴を開く。
一、今日庄兵衛と茂吉二軒へ土産物、手拭一筋ずつ遣わす。
二十五日 半ば晴
今朝大寺村出立。
出立前越川より徳三郎暇乞(いとまご)いに来たる。尤もこの方よりも昨日の礼、手紙遣わし申し候処、徳三郎参り候なり。
餞別として金百疋、外に細工物品々贈られ候。太兵衛より煙草一斤、四郎左衛門より煙草半斤、作吉より同半斤、彦左衛門より同半斤、右の通り見舞われ候。その外皆々暇乞いに来たる。
伊兵衛より強飯・重の内来たる。甚左衛門より長芋贈られ、与右衛門より麦こがし贈られ候。
今川屋へ暇乞いに寄り候ところ、犀角(さいかく)・人参・セメン、右三薬呉られ候。吉左衛門へ立ち寄り、それより松崎へ出、松崎氏へ半紙二、煙草一斤遣わす。
それより山倉参詣。神尾村へかかり、小見川へ出、舟にて暮六ッ半時鹿島へ罷り帰り候。
二十二日
三十二文 髪結
一、二百文 息栖舟賃
一、二百八十文 小見川中飯・酒共
一、百文 茶代
一、六百文 茶三袋
一、十壱匁 手拭い一反
一、四百七十二文 足袋
一、四十文 半紙
一、八十八文 大寺にて使い物、半紙
一、二百文 平吉帰り路用
一、百文 同人貸(かし)
二十三日
一、五匁 菓子折 灰十へ
一、二百文 白砂糖 祖母へ
一、百文 饅頭 龍尾寺へ
一、二百文 菓子 子供等へ
一、二百文 半紙 使い物
一、五十文 途中茶代
一、百三十二文 手拭 茂吉ヘ遣わす
一、百文 定吉に遣わす
二十五日
一、三百十八文 小見川酒飯
一、二百文 息栖迄舟賃
一、五百文 息栖より大舟津まで
一、二百文 茶代
二十六日
一、三百文 茂吉帰り入用
二十六日 晴
(中略)
一、今昼時、茂吉下総へ帰る。大儀料として粽紛(ちまきこ)百目遣わす。
(後略)
現代語訳
(4月)22日
朝、鹿島を出立した。息栖を通り、小見川で昼食、八ッ時(午後2時)過ぎに大寺村*1重郎兵衛*2方へ到着した。土産は茶200文・手拭1、そのほか小高又之進*3よりの届け物を遣わした。すぐに重郎兵衛殿と一緒に利右衛門へ風呂敷1、半紙2を持参した。今川屋*4へ手拭い1、茶200、ほかに小高からの届け物を持参した。右の両家は主人が留守だったので面会はせず。それから越川氏のところへ行く。途中、少しだけ宿へ立ち寄って休憩した。
越川へは上菓子折1つを持参。ご馳走になり、今晩は越川氏方へ泊る。
23日 晴
朝、越川より飯森塚への帰りがけに、六郎兵衛・はつ屋佐吉・弥助・藤兵衛・太兵衛・与右衛門・伊兵衛方へ立ち寄った。この近所の太兵衛・藤兵衛・伊右衛門・与右衛門へは手拭い1筋ずつ遣わした。吉左衛門へも遣わした。
一、四ッ時(午前10時ごろ)より利右衛門に頼み、八日市場の灰十*5方へ行く。5匁の菓子折1つを遣わす。借金について申し入れをしたところ、25両を28日までに貸してくれると話がついた。証文を渡し、手形を受け取った。近くの郷の釜屋(かまどが据えてある建物)へ寄ったところ、酒の肴を大寺村までお見舞いに遣わすとのことだったのでお礼をして、それより買物などして、夕方までに大寺村へ帰ってきた。利右衛門へ酒をふるまって帰した。
一、越川氏より迎えの者が来た。のちほど書面にて断りを入れた。
一、聖禅寺へ手拭1、龍尾寺*6へ菓子1袋を持参して会いに行った。
一、今晩、弥助・喜平と母一同が1樽ずつ持参して見舞いに来た。酒を振る舞う。
24日 晴
今朝、今川屋が来た。
越川氏がやってきて、今日招きたいとのことだったので、今日は松崎*7へ行こうと思っていたので、その支度で越川氏を訪ねたところ、数々のご馳走があった。龍尾寺の住職春泰なども同席。祖母もやってきて夕暮れになって退出し、それから六郎兵衛新坂へ見舞った。
新坂へ茶200文を遣わす。それより今川屋へ行き、今晩は今川でご馳走に預かり泊まる。当然十郎兵衛も同座した。今川屋へ藤兵衛・庄治郎の2人が、私への見舞として酒を持参した。一同で宴を開く。
一、今日は、庄兵衛と茂吉の2軒へ土産物として手拭1筋ずつ遣した。
25日 半ば晴
今朝、大寺村を出立する。
出立前に越川より徳三郎が別れの挨拶に来た。もっとも、私より昨日のお礼の手紙を遣わしたところ、徳三郎が来たのであるが。
餞別として金100疋、他に細工物の品々が贈られた。太兵衛より煙草1斤、四郎左衛門より煙草半斤、作吉より同じく半斤、彦左衛門より同じく半斤、右の通りお見舞いを貰った。そのほか皆々が別れの挨拶に来た。
伊兵衛より強飯(こわめし)・重の内が来た。甚左衛門よりは長芋が贈られ、与右衛門より麦こがしが贈られた。
今川屋へ別れの挨拶に寄ったところ、犀角(さいかく)・人参・セメン、の三薬をくれた。吉左衛門へ立ち寄り、それより松崎へ出て、松崎氏へ半紙2、煙草1斤遣わした。
それより山倉*8を参詣。神尾村を通り、小見川へ出て、舟で暮六ッ半時(午後7時ごろ)鹿島へ帰ってきた。
22日
32文 髪結
200文 息栖舟賃
280文 小見川昼食・酒代
100文 茶代
600文 茶3袋
11匁 手拭い1反
472文 足袋
40文 紙
88文 大寺にて使い物、半紙
200文 平吉帰り路用
100文 同人(平吉)へ貸す
23日
5匁 菓子折 灰十へ
200文 白砂糖 祖母へ
100文 饅頭 龍尾寺へ
200文 菓子 子どもたちへ
200文 半紙 使い物
50文 途中茶代
32文 手拭 茂吉ヘ遣わす
100文 定吉に遣わす
25日
318文 小見川酒飯代
200文 息栖まで舟賃
500文 息栖より大舟津まで
200文 茶代
26日
300文 茂吉帰りの費用
26日 晴
(中略)
一、今日の昼時、茂吉が下総へ帰った。苦労を労って粽紛(ちまきこ)100目*9を遣わした。
(後略)
注釈
*1 大寺村…下総国香取郡。現在は千葉県匝瑳市。下総台地南部に位置。旗本小田切氏らの相給村。村高は770石余(「天保郷帳」)、弘化2年の家数130。龍尾寺や熊野神社などがある。鹿島丹下の母親が居住しており、丹下は天保12年から20年間余りをこの地で過ごす。
*2 重郎兵衛…桑田重郎兵衛。大寺村。丹下の従兄弟。伯母の千代子が丹下の母。
*3 小高又之進…宮内又之進。鹿島丹下の妻おきぬは行方郡小高村(現在の行方市)の名主である宮内弥兵衛の妹で、又之進は宮内氏の本家。おきぬは出産のため実家の宮内方へ長く逗留しており、4月19日に鹿島へ帰ってきている。
*4 今川屋…今川市郎左衛門。大寺村在住。重郎兵衛と共に丹下の物心両面の援助者。
*5 灰十…灰吹屋十兵衛。八日市場の醤油屋。
*6 龍尾寺…下総国(香取郡)大寺村。天平年中僧釈命の創建と伝えられる。天竺山尊蓮院寺。関東三龍寺の1つ。住職春泰。真言宗智山派。境内に康永11年・応安6年銘の種子板碑あり。
*7 松崎…松崎村。地元民は「まっさき」と呼称。下総国香取郡。現在多古町に属す。相給地で、村高は「天保郷帳」1218石余、弘化2年の家数102。村内は宮本・塙の2区に分けられ、それぞれ月番名主が置かれた。松崎神社(祠官松崎氏)や日蓮宗顕実寺などがある。
*8 山倉…下総国香取郡山倉村(現香取市)の山倉神社(現在の山倉大神)のこと。佐原の南4里。旗本和田氏などの相給村。村高1304石(「天保郷帳」「旧高旧領」)。山倉神社は、大六天王宮、山倉様とも呼ばれ、関東・東北地方に数多くの講をもっていた。
*9 100目…100匁(もんめ)。匁は、金銭の単位(1匁=1両の60分の1)と、尺貫法でいう重さの単位(1匁=1貫の1000分の1=3.75グラム)がある。ここでは重さの単位で、100目(匁)=375グラム。