本文
1.文久3年4月 上郷・下郷の旧家臣へ挨拶回り
(『惣大行事日記』より)
文久2年8月、約20年ぶりに鹿島への帰住が許可された鹿島丹下は、翌文久3年に惣大行事職への復帰願い運動を展開します。その課題の一つに家族・用人・旧家臣の結束を固めることがありました。
丹下は4月8日より「旧臣回り」(旧家臣への挨拶回り)の準備を始め、4月13日から15日に、用人松信能右衛門と鶴屋半平を上郷(鹿島神宮より北の地域)・下郷(同じく南の地域)の旧家臣の元へ派遣します。また、下郷のうち、現在の神栖市にあたる4カ村の旧臣回りは別途筒井村名主の小神野重左衛門へ依頼しています。手土産として血の薬(婦人用漢方薬)や瀬戸物の盃等を持参しました。
読み下し文
(四月)九日 雨 夕方より天気 権太夫来たる。
筒井村重左衛門来たる。旧臣廻りに同人出で呉れ候対談の処、当節地頭用向きにて出抜き兼ね候趣の断り。なお又種々相談これ有り候。下郷、幡木・筒井・平泉・賀村四ケ村へは重左衛門廻りくれ候筈(はず)にて、血薬二十帖持参す。外旧臘(きゅうろう)御免の御沙汰の節、土産調(ととの)え置き候え共、職分願い相済まし候上、一統へ音信に及ぶべくと存じ、これまで延引致し居り候え共、旧臣廻りについては無音に致し置き候も如何と存じ、右土産物遣わし候。幡木平左衛門・筒井十左衛門両人は別段骨折りもこれ有り候故、箱入り三ッ組巴紋盃、但し瀬戸物なり、これを遣わし申し候。その外へは瀬戸巴紋一ッ盃箱入りなり。尤も分家等にて別段骨折りもこれ無き処は、右土産遣わし申さず、よんどころなき所へばかりなり。右四ケ村分、都合箱十六遣わす。
(中略)
十三日 晴 薄暑
息栖御祭礼に付き神酒献ず。今日上郷先方廻りに、能右衛門差し出し候に付き、同人儀も耳遠く咄も分かり兼ね候故、鶴屋半平を相頼み候処、一同にて出で呉れ候。尤も半平帯刀にて能右衛門は一刀なり。人足に両掛持たせ、土産もの配りかたがたなり。夜に入り人足ばかり罷り帰る。能右衛門は棚木村仁兵衛方へ泊り、鶴屋は罷り帰り候え共、草臥(くたびれ)候に付き、この方までは参らざる由。明日又候鶴屋出で呉れ候由申し越し候。人足に夜食給わす。
(中略)
十四日 晴 薄暑
(中略)
一、上郷先方廻り、今日も半平・能右衛門両人出で候。人足夜に入り帰る。昨日は中飯給い候処これ無く大いに困り漸(ようや)く居合へ参り、宿屋にて支度致し候由。今日は鶴屋方にて弁当に寿司沢山持参致し、しかし立原九郎右衛門方にて中飯差し出され候由、人足の者咄なり。両人は今晩も内々へ直ちに罷り帰り、この方へは参らず候。
(中略)
十五日 晴 薄暑 昼時雨少し降る
(中略)
一、今朝能右衛門来たる。今日下郷*6へ出で候筈(はず)鶴斉相談の由。血薬・土産物等改め遣わす。昼後人足帰る。雨降り出し候に付き、鉢形村より罷り帰り候由なり。
(中略)
一、 鶴斉来たる。今日下郷へは能右衛門ばかり差し遣わし候由。一昨日・昨日相廻り候、先方軒別の書き付け委細認(したた)め、持参致し候。
現代語訳
(4月)9日 雨 夕方より天気 権太夫が来た
筒井村重左衛門*1が来た。旧臣回り*2に重左衛門が出てくれないか相談したところ、今は地頭の用事があるので出来かねると、断りがあった。なおまた、いろいろな相談をした。下郷*3の、幡木・筒井・平泉・賀村の4カ村へは重左衛門が回ってくれることになり、血薬*4 20帖を持たせた。そのほか、旧臘(きゅうろう)御免の御沙汰*5(昨年に鹿島帰住の許可)が下りた際に、土産は用意していたが、惣大行事職への帰職願いを済ませた上で、一同へ連絡しよう思い、これまで先延ばしにしていたものの、旧臣回りについて久しく無沙汰にしているのはいかがかと思い、準備していた土産物を遣わした。幡木平左衛門*6・筒井十左衛門の2人は、他に骨折りをかけたので、箱入り三ッ組巴紋盃、ただし瀬戸物である、を遣わした。そのほかへは、瀬戸巴紋一ッ盃箱入りである。もっとも、分家等で特に骨折りもかけていないところは、これらの土産は遣わさない。特に縁のないところばかりである。右の4カ村分、都合16箱を遣した。
(中略)
13日 晴 薄暑
息栖神社で御祭礼があったので神酒を献上した。今日、上郷*7の挨拶廻りに、能右衛門*8を行かせたが、彼は耳が遠くて話も分かりにくいので、鶴屋半平*9に同行を頼んだところ、一同で出かけて行った。ただし、半平は帯刀(二本差し)しており、能右衛門は一刀であった。人足に両掛*10を持たせ、土産もの配りを兼ねてである。夜になって人足だけが帰ってきた。能右衛門は棚木村の仁兵衛方へ泊り、鶴屋は帰って来たものの、くたびれてしまって、こちらまでは戻らなかったとのこと。鶴屋はまた明日出てくると手紙で伝えてきた。人足に夜食を出した。
14日 晴 薄暑
(中略)
上郷の先方廻りに今日も半平と能右衛門の2人が出かけて行った。人足が夜になって帰ってきた。昨日は昼飯を頂けるところがなく大変困り、居合村へ行って宿屋で支度してもらった。今日は鶴屋方で弁当に寿司を沢山持参していったが、立原九郎右衛門*11方にて昼飯を頂けた、と人足の者が話した。両人は今晩も直接家に帰り、こちらへは戻らなかった。
(中略)
15日 晴 薄暑 昼に時雨が少し降る
(中略)
今朝、能右衛門が来た。今日は下郷へ出かけようと鶴屋と打ち合わせたという。血薬や土産物等を改めて遣わした。昼の後に人足が帰ってきた。雨が降り出したので、鉢形村より帰ってきたという。
(中略)
鶴屋が来た。今日は下郷へは能右衛門だけを行かせたとのことだ。一昨日・昨日の挨拶回り先を戸別に書き付けた詳細を持参した。
注釈
*1 筒井村重左衛門…小神野重左衛門。筒井村(現神栖市)名主で惣大行事家の旧家臣。
*2 旧臣回り…惣大行事家の主な旧家臣への挨拶回り。本文中の「先方回り」に同じ。年一度。
*3 下郷(しもごう)…鹿島宮中を中心としてその南部地域。谷原・幡木・筒井など。
*4 血薬(ちのくすり)…婦人用漢方薬。産前・産後の血の道。のぼせ・頭痛・めまいなどに効能。成分は香附子・木香・当帰オケラ、その他。
*5 旧臘(きゅうろう)御免の御沙汰…旧臘は去年の12月のこと。寺社奉行より鹿島丹下へ宛てた鹿島帰住許可の通知状。
*6 幡木平左衛門…馬場平左衛門。幡木村(現神栖市)の名主で惣大行事家の旧家臣。丹下に墓所の代参を依頼される。
*7 上郷(かみごう)…鹿島宮中を中心としてその北部地域。猿田・田谷・奈良毛・林など。
*8 能右衛門…松信能右衛門。構(犬馬場)名主。老年で耳やや不自由。
*9 鶴屋半平…小堀半平。宮本鶴斎とも。小堀家からの婿養子。62才。大町。土地測量の第一人者
*10 両掛(りょうがけ)…旅行用の行李(こうり)。挾箱(はさみばこ)に衣類・土産品などを入れ、棒を通して両端にかけ、人足にかつがせた。
*11 立原九郎右衛門…立原村。惣大行事家の旧家臣。端午の節句の流鏑馬の上郷射手。5月に病死。