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九、鹿を神宮の使と云説
記事ID:0066590
更新日:2022年11月1日更新
(『櫻齋随筆』より)
鹿島神宮で鹿は「神の使い」とされ、大切にされています。鹿島則孝は、その起源について、古事記の記述と、江戸時代後期の国学者である平田篤胤の説を紹介しています。
読み下し文
古事記尓、葦原中國平和せん神を撰ところ尓、天尾羽張神ハ、大神ノ父神也。天安河の水を逆尓塞上て道を塞お者しませバ、他神行ことか奈ハじ。よて天迦久神を遣して問しめ給ひし可バ、武甕槌大神をまゐらせ給へりしこと阿里。平田氏の説尓、天迦久神者、天鹿神尓て、古連ぞ大神の鹿を使と春る起原なりといへり。
現代語訳
「古事記」によると、葦原中國(あしはらなかつくに:地上の世界のこと)を平定する神を選ぶときに、天尾羽張神(あめおのはばりのかみ)―大神*1の父神である―は、天安河(あめのやすかわ:天上の国である高天原にある川)の水を逆にせき上げて道をふさいでいらっしゃったので、他の神は行くことが叶わなかった。そこで、天迦久神(あめのかぐのかみ)を遣わしてお尋ねになったところ、(息子である)武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)をお遣わしになった、と言う事があった。
平田篤胤*2の説では、天迦久神(あめのかぐのかみ)は、天“鹿”神(あめのかぐのかみ)なので、これこそが武甕槌大神が、鹿を使いとする起源であると言う。
*1 鹿島神宮のご祭神である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)のこと。
*2 江戸時代後期の国学者。