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明石家文書「御年貢の事」其の四

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記事ID:0062716 更新日:2022年6月8日更新

其の四:「差入申一札之事」

『明石家文書』より)

 弘化二年(1845年)、小山村、角折村、清水村から明石村へ出された文書で、年が明けてもまだ年貢が納められずにいた清水村の一部の農民へ関係する村が働きかけたものです。同じ旗本の知行地内の村の対応を示す興味深いものですが、このようにすべての農民が決められた通りに年貢を納められていたわけではなく、村落共同体の仕組みの一端が垣間見えるものです。

原文

明石家文書 御年貢の事 其の四 古文書

現代語読み

(解読:鹿嶋古文書学習会)

「差上申一札の事」
一  清水村の役人小前の内、去る辰年の御年貢米を未だ納めていない者がいるので、御地頭所様によるお手入れなどがあっても然るべきところですが、格別の思召をもって小山村利左衛門と角折村重左衛門の両人に取計らう様仰せ付けられました。そこで私共は清水村の村役人と小前の年貢未納の者にこの心得違いについて、兼帯名主明石理得郎方へ詫びを入れさせました。
 御地頭所様は更に、私共へ御年貢米と永御上納金を皆済し札とともに納めるように仰せ付けられましたので、清水村組頭代役太郎左衛門始め小前の未納の者へよくよく申し聞かしたところ、彼らは承知いたしました。
 なお又、来る二十二日迄に彼らから明石殿へ詫びを入れさせ、いささかも相違なく年貢米の蔵入れを致す様話し合いをしました。御年貢帳と札とも、私共が預かっておりますことに相違ございません。
 後日の為一札前記の通りで御座います。

                                                        小山村 名主
     弘化二年巳正月十八日            田嶋利左衛門(印)
                     角折村 名主  重左衛門(印)
                                                    清水村 組頭代役
                                                                         太郎左衛門(印)
                                                                                        代印


                                      明石理得郎殿                        ​

解説

 本文書は弘化二年(1845)年正月に書かれたもので、その前年の年貢が納められていなかった清水村 未納者へ働きかけたものです。
 当時の地頭は旗本正木家で隣接する明石、清水、小山、角折の4村を知行していた関係で、この4村の種々の事案の調整は代々明石村の名主を割元役に任命して委任していました。​
 一方、毎年の年貢の徴収などは夫々の村の名主など村役人に任せておりました。本来なら年貢未納などの重要案件の対応は、地頭役所が直々出向いて行うこともあったようですが、この件では先ず同じ知行地の小山村と角折村の名主に対応させ、それを逐一割元役の明石村名主理得郎へ書面で報告させる方法をとっていました。
 この文書を読む限り、地頭役所による村支配のやり方の一端が垣間見えますが、同時に年貢負担にあえぐ農民に対して名主もどんなに心苦しかっただろうかと容易に想定されます。

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