本文
八、 太田村の口碑(こうひ)
(『櫻齋随筆』より)
ここでは、鹿島の人々に言い伝えられていたという「砂丘で亡くなった盲目の人」の話が綴られています。
読み下し文
(1)鹿島の人の口碑に残る、盲人焦死の事は、何年以前の事にや。
不詳ども、(2)此砂漠は一里に近く、東は大洋、西は入江。波逆江。
南北長く、樹木更に無く渺々(びょうびょう)たる砂丘なり。土俗は砂山と云う。
炎暑の節には、往来に煩わむこと甚し。
然るに(3)昔時或夏、土地を知らざる盲人一名、この砂漠に行きかゝり、方位を失ひ、
此方彼方と行迷ひ、終日難渋せしが、かくる大暑故、往来の人無かりしにや。
焦砂(しょうさ)着き、ために両足を痛め、之に加え、暑気あたりにてもありしが、
ついに、行倒れ死せしと云ふ。
僅可一里に、半里の砂漠ながら、おそるべき事也。
解説
太田村は現在の神栖市太田にあたります。太田地区の隣接地に「砂山」という地名が残っていますが、そこがこの話に出てくる「砂山」です。現在は、整地され工場地帯等になってしまっていますが、かつて(鹿島開発以前)は砂が堆積した小高い砂丘がありました。
(1)意訳
鹿島の人々の言い伝えられている「盲人の焼死の話」は、一体何年前のことなのだろう。
(2)では、砂山の詳細が記されています。
(2)意訳
この砂漠は、一里近くあり、東は太平洋・西は波逆浦に囲まれている。南北に長く、樹木は無く、びょうびょうたる砂丘である。地元の人は「砂山」と呼んでおり、猛暑の夏には、往来するのに非常に煩わしい。
(3)意訳
昔ある夏の日、土地勘のない一人の盲人が、この砂漠に行きかかり、方角を見失ってしまった。猛暑だったため他に往来する人も無く、焼けた砂が着いて両足を痛め、加えて暑気あたりを起こして、終日難渋し、ついにそこで行き倒れて亡くなってしまったという。わずか一里に半里の砂漠ながら恐ろしいことだ。