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”絵”で見る江戸時代の鹿嶋

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記事ID:0050057 更新日:2022年2月22日更新

鹿島誌 現在位置50

江戸時代後期の国学者であり鹿島神宮の神官であった北条時鄰(ホウジョウ トキチカ)が、1824年に著した『鹿島志』の挿絵図には鹿嶋の各所の風景が描かれています。要石が実際よりかなり大きく描かれていたりするなど、実物とは違っているのではないかと思われる部分もありますが、現在の風景と重なる部分もあり、当時の鹿嶋が偲ばれます。

  

「一の鳥居」
北浦側から鹿嶋を臨んだ絵図です。手前側に大船津にある「西の一の鳥居」があり、その奥には鹿島城跡(現在の城山公園あたり)が見えます。↓[現在の様子]

絵図 一の鳥居

「鹿島神宮境内」
要石周辺。画面右の要石ですが実際よりかなり大きく描かれています。↓[現在の様子]

 

絵図 鹿島神宮要石

「根本寺・鎌足神社」
手前左に鎌足神社その先には根本寺が見えます。中央に描かれている道路は現在の国道51号線あたりでしょうか。↓[現在の様子]

絵図 根本寺・鎌足神社

「御手洗、奥上に奥宮」
現在と同じように御手洗池の鳥居に椎の木が掛かっています。↓[現在の様子]

 

絵図 鹿島神宮奥宮御手洗

「鹿島神宮境内」大鳥居・楼門周辺
大鳥居脇に現在はない、大工小屋などが見えます。↓[現在の様子]

絵図 鹿島神宮楼門

「坂戸神社・沼尾神社」
左が坂戸神社で、右が沼尾神社です。「この辺に蓮池の旧跡あり」とあり、風土記記載の沼尾池の蓮を指しています。↓[現在の様子]

絵図 坂戸沼尾神社

「鹿島神宮境内」
本殿周辺。仮殿が現在とは違い、楼門正面にあるのがわかります。(仮殿は何度か移設されており、現在の位置に落ち着いたのは昭和22年です。)↓ [現在の様子]

絵図 鹿島神宮本殿

「高天原」
鬼塚、ゴイシ濱、末ナシ川などの文字がが見えます。ゴイシ濱の実際の場所は不明ですが、碁石の材料となる良質の貝が採れることで有名でした。

 

絵図 高天原

お祭りの風景

  

「青馬祭」
現在、一月七日に行われる白馬祭です。↓[現在の様子]

絵図 青馬祭

「御軍祭」
現在のちょうちんまちです。楼門の前に神官が並び、その前でちょうちんを燃やしている様子が見えます。↓[現在の様子]

絵図 御軍祭

「祭頭 日中の図」
左方右方の男衆が樫棒を持って鳥居の前で囃しています。現在は女性も参加していますが、昭和40~50年頃までは男性しか参加していませんでした。↓[現在の様子]

絵図 祭頭祭 昼

「祭頭 夜の図」
当時は、祭頭祭の夜の行事もあり、今はない神宮寺に集まり囃している姿です。神仏混淆の当時の様子がうかがえます。↓

 

絵図 祭頭祭

「相撲の神」
現在の相撲祭です。↓[現在の様子]

絵図 相撲祭

鹿嶋市外の風景

  

「息栖神社」(神栖市)
一の鳥居の左右に「ヲガメ」「メガメ」が見えます。↓[現在の様子]

絵図 息栖神社

「神の池(ごうのいけ)」(神栖市) 
中央に大きく神の池が描かれています。↓[現在の様子]

絵図 神の池

「潮来」(潮来市)
イタクと表記されています。画面を横断する大きな川は北利根川、その奥の小さな川はソノベ川でしょうか。更に奥には建物が立ち並び栄えている様子がうかがえます。↓ [現在の様子]

絵図 潮来

※鹿島神宮所蔵『鹿島志』より

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