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北浦を臨む古墳群―宮中野古墳群
記事ID:0050027
更新日:2022年11月7日更新
日本で2番目に大きい湖である霞ヶ浦、その霞ヶ浦水系である北浦は面積35.16㎢を誇り、関東の水甕ともいうべき湖です。この北浦に面した台地上の縁辺部には多くの古墳が造られており、鹿嶋市内だけでも約400基(横穴墓や消滅した古墳も含みます。)あります。こうした古墳群は、当時北浦を帆走する船上から臨まれ、その威容を誇ることを意図していたのではないかと思われます。
中でも鹿嶋市宮中の宮中野地区に所在する “ 宮中野古墳群 ”は、茨城県内でも最大規模の古墳群で、前方後円墳19基、帆立貝式古墳2基、方墳3基、円墳103数基の古墳を有しています*1。そして、対岸には宮中野古墳の規模に匹敵する大生古墳群(潮来市)があり、古代、経済基盤である北浦文化圏の水田地帯を巡って豪族たちが争っていたことを彷彿とさせます。
*1平成29年8月現在で確認している古墳数(隠滅したもの含む)
※遺跡の場所を確認する。<外部リンク>(いばらきデジタルマップへ)
宮中野古墳群の古墳分布図
古墳は、古代の権力者・豪族たちの墓であるといわれていますが、日本全国で20万基以上あるとみられる古墳の中で、被葬者が確定されている古墳はほとんどなく、宮内庁が管理する天智天皇陵、天武持統合葬陵などが確定されているのみで、他はあくまで推定にとどまります。一体、どれほどの地位のどのような人物が葬られているのでしょうか。
宮中野古墳群の主な古墳
参考文献
「図説 鹿嶋の歴史 原始・古代編」平成18年3月31日 財団法人鹿嶋市文化スポーツ振興事業団発行