本文
二、 櫻山
(『櫻齋随筆』より)
読み下し文
己れ、幼き頃より、桜を愛ずる、癖なん、ありけり。
されば、如何で土地広ろかに、桜多き住居を求めばやと、
明け暮れに思い居りしに、図らずも鹿島に下る事とはなりぬ。
さても、此の屋敷は、昔、佐竹氏の砦にて在りしを、
遠つ祖先の、則興の君の、慶長元年、三月の二日と、言うに、
湖辺の里より、この桜山の地に、移られたりと、古き文に、見えたり。
されば、その頃より、桜山の、縁ありにしを、思えば、
なお、昔より 桜の数多ありしならむ。
その、名残りと、しも見ゆる桜の多く残れり。
それのみにはあらで、
土地もいと広ろかにて、五千三百坪余りぞ、有りける。
これにしも、我が幼きよりの望み、果たりぬ。
こは、これ又々、花神の恵み給える、ならむと、嬉しきことにこそ。
解説
則孝公は江戸の旗本の家から鹿島大宮司家に養子に来ています。
そのことから、「幼い頃より桜が大好きで、どうにか土地が広くて桜の多い住居に住みたいと日々思っていると、図らずも鹿島に来ることになった」と記しています。
大宮司家が建つ桜山の地に来たことを、「幼い頃からの願いが叶った。これは花神の恵みだろう。」とその気持ちを綴っています。
また「大宮司家の屋敷は、昔は佐竹氏の砦であった場所である」こと、「慶長元年の三月二日に湖辺の里より桜山に移ってきた」ことが「古き文に見えたり」と記されています。
原文
於のれ、於さ奈奈喜古ろ与り、桜越免つる 癖なむ あり介里
左連は 以可て 土地飛ろゝ可に 佐くら於ほき 寿ま為
越 も登め者やと 阿けくれ尓 思ひ居りしに 者可ら須も
鹿島尓下ることゝは奈りぬ 佐天も 此やしきは む可し 佐
竹氏の 砦尓亭 阿りし越 遠つ祖乃 則興の君の 慶長元
年、三月の二日と いふ尓 湖辺の里より 古の桜山乃地尓 移ら
れた里と 古きふみ尓 見江多り 佐禮ハ 其頃より 左くら山
の 縁あり尓しを 於もへハ 猶、む可し与里 桜の 阿満多ありし
奈らむ そ能 奈ごり登、しもミ由る 桜の於不く
残連り 楚れ乃ミにハあらで 土地も い登ひろゝ可にて 五
千三百坪 阿まりぞ あり介る 古れ尓しも 王ガ於さ奈き
より能望、ハた里ぬ 古者 これま多〳〵 花神の恵ミ
給へる 那らむ登 宇れし喜ことに古そ