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現地に残る戦争遺跡 ―掩体壕(えんたいごう)―
記事ID:0050094
更新日:2024年1月31日更新
かつて神之池海軍航空基地だった場所の一角に、当時造られた掩体壕が1基残っています。
そこは今、製鉄所の敷地になっていますが、掩体壕は道路沿いにあり、櫻花公園(おうかこうえん)として市民が訪れることができる慰霊の場所になっています。
掩体壕とは―
アメリカ軍による日本本土への空襲が激化していく中で、航空機を空襲から守るための格納施設として「掩体壕」が基地周辺に築造されました。コンクリート製で覆いがあるものを「有蓋掩体壕(ゆうがいえんたいごう)」、土堤で囲ったのみで覆いのないものを「無蓋掩体壕(むがいえんたいごう)」といい、神之池基地周辺には、有蓋・無蓋の掩体壕が合わせて数十基作られましたが、現在ではこの有蓋掩体壕1基だけが残っています。
現存する掩体壕の内部には、実戦機桜花一一型のレプリカが展示されていますが、神之池基地ではこの実戦機ではなく、練習機が使われていました。
掩体壕の傍らには、戦後、昭和53年に元桜花隊員の小城久作氏が私費を投じて建立した石碑が建っています。
石碑は、鹿児島県の鹿屋基地と合わせて訓練が行われたこの鹿嶋の地に建立されました。石碑の表と裏には、小説家山岡荘八氏の撰文で建碑由来が書かれているほか、向かって左側の側面には、錬成の名残とどめぬ鹿島灘 いまだただよう戦友のおもかげという小城氏の献歌が記されています。時代が移りゆき戦争の記憶が薄れる中で、この掩体壕は変わらず当時の面影を今に伝えています。