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三笠山道路衢神(みかさやまどうろくじん)
記事ID:0077751
更新日:2024年5月1日更新
名称 | 三笠山道路衢神(みかさやまどうろくじん) |
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時代 | 不詳 |
地番 | 鹿嶋市大字宮中5248-4先 |
指定 | 市指定 |
種類 | 有形文化財 史跡 |
指定年月日 | 令和6年5月1日 |
説明 |
三笠山道路衢神は、江戸時代の鹿島神宮の神官である北条時鄰(ときちか)が文政6年(1823)に記した『鹿嶋志』において、「五町許南の山路(やまぢ)に有(あり)、俗に山(やま)の端(は)の道路衢(だうろく)神(じん)といへり、祭神(まつるかみ)猿田彦命(さるだひこのみこと)、神代紀に、一つの神有り、天八達之衢(あめのやちまた)居れりと云々、敢問(これをとふ)衢(ちまた)の神(かみ)對(こたへ)て日(いわく)天照大神の子(みこ)今當降行(いまいでますべし)と聞く、かれ迎ひ奉りて相待(あいまつ)吾名は是猿田彦大神と云々、和名抄に、道神は和名太無介乃(たむけの)加美(かみ)道上祭(みちのほとりにまつる)云々、里人の旅路にいでたつをり、かならず此神に醴(あまざけ)を竹筒にいれ、又藁履などを手向て道の平安を祈は古風の存(のこ)れるなり」と記載され、古来よりこの道路衢神に甘酒と草履を供えて道中の安全を祈願し、旅路に出ることが風習としてあります。 |