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七、角折村(つのれむら)の昔話

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記事ID:0050250 更新日:2022年1月6日更新

『櫻齋随筆』より)

ここでは、『文正草紙』に収録されている、文太長者の御伽草子について、則孝公の考察が綴られています。

読み下し

ふるき物語文に、(1)文正双紙といふものあり。鹿島大宮司の家に召つかふ、文太と云ものあり。主より暇出て、同郡なる「つのをか」村に住て、塩を製して営業とし、大いに富を得。云々。

(2)素より作り物語りなれど、少しく原因あることにや。此村より古く塩を、大宮司家へ納め来りしこと、旧記にも見えしが、中古より絶たりしを、天保年中、同村の、名主長岡玄蕃なるもの、再興して今に至る迄、年々歳末に納るなり。又、同村に、霜水寺、真言宗、といふあり。(4)村の口碑に塩やき文正の、古邸跡なりと云ひ傳ふよしなり。

(3)此村の名も今は、「つのをれ」と、云なり。皇學者中山信名、平四郎、氏が考には、昔は大方、假名文字を用ひしゆゑ、「を可」と書しを「をり」と、語り出て、又、真名に「折」と書き、それより「折」と称し、終に、今のごとく、「角折」になりしならん。「り」と「れ」と通音なれば、然か、称来りしならんと。此説當れりとおもはる。

(4)霜水寺は海岸の高地にて、眺望よき所にして、境内ひろく古木繁茂せり。長者の旧跡と云ふも宜なり。

解説

(1)では、文太長者の物語の内容が書かれています。

【意訳】

古い物語集に『文正双紙』というものがある。鹿島大宮司家に仕える文太というものが、主人(大宮司)より暇をもらって「つのおか」村に住み、製塩で巨財をなした云々という物語である。

(2)では、その物語の元になったと思われる話について書かれています。

【意訳】

文太長者の物語は作り物語ではあるが、少しその元となっている事があるのではないだろうか。この村は、古くから塩を大宮司家に納めていたことが古い書物にも見える。中古に絶えてしまったが、天保年間にこの村の名主・長岡玄蕃という者が再興して、今にいたるまで毎年年末に塩を納めている。

(3)では文太長者の時代に「つのおか村」だった村名が「つのおれ村」に変化していった原因について国学者の考察が引用紹介されています。

【意訳】

この村は今では「つのをれ」村と言うが、国学者の中山信名、平四郎、両氏の考察では、昔は万葉仮名を使っていたため、「つのをか」の「をか」を「を可」と書き、それを「をり」を読んでしまい、「折」の字を当てて現在の「角折村」となったのではないかとの事である。

(4)では、文太長者の屋敷跡であるという伝説がある霜水寺について書かれています。

【意訳】

村の言い伝えでは、霜水寺がこの文太長者の屋敷跡であるという。霜水寺は海岸の高台にあり、眺めも良く、境内も広く老木が生茂っている。長者の旧跡であるというのももっともである。

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