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一、 はし加喜(はしがき)

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記事ID:0050239 更新日:2021年3月29日更新

読み下し文

はしがき

昔、よしだの里に、何某の、日暮し、硯にむかいにし。

その旧事に習ふ、歳もはあらねども、雪の朝、雨の夕辺の、徒然なるままに、

幼き頃、他人に、聴き得たること、目の当たり、見たりしこと、将、

去にし世の文、今の世の、新聞紙など、よりし世に、めずらしく思うは、

事毎に、書き記したりしを、年経つまゝに、早や、幾巻きにかなりぬ。

さあれ、 他人に示さん、との為にも、あらねば、つきづきも、乱りがまし。

けれど、書き改めむも、さて物憂くて、元のままに、為し置きつ。

また東の、都の事はしも、己れ生立ちし、所なれば、幕府の様子より始めて、

事々に落丁なく、書き記しぬ。あはれ、己が家の系統、汲みなむ人たちの、

見ぬ世を偲ぶ、縁がとならば、老いが身の、御祝いにこそ。

櫻花の、香るままの、下に

七十五叟

明治二十年四月十五日 鹿島則孝 談

解説

この「はしがき」には、75歳の鹿島則孝公が「老いが身の、御祝いにこそ」と、昔から綴っていた様々な文書を、後世のために改めて『櫻齋随筆』にまとめられたことが記されています。

原文

はし加喜

む可し よし多乃さ登尓 奈尓可し能 飛くらし 春ゞ里にむ可ひ

にし そ能ふることにならふ 登しもハ阿ら祢ども ゆ支の

あし多 阿免乃由ふべの つれ〳〵奈るまゝに 於さ那起ころ

飛とに 起きえ多るこ登 ま能阿多り ミた里し古登 は多

以尓し与乃ふミ いま能よの しんぶむし那ど、よりし与尓、めづ

らしくおもふハ こ登ごと尓 可起志るし多りし越 登し

多川まゝに 者や いくま起尓可なりぬ 佐ハれ 飛と尓しめ

左む 登乃ため尓も あらねば つ起〳〵も ミ多りがまし

けれ登 可起あら多めむも さてものうく天 もとのまゝ

に 奈しおき津 ま多阿づま能 ミやこの古とはしも おのれ

於飛多ちし 登ころ奈れバ ばくふのさまより者じめ

て 古と〳〵におち奈く か起志るしぬ あは連 おのが

いへの奈可れ 具ミなむひと多ちの ミぬ与越しのぶ よ春

可登奈らば 於い可ミ能 御ひはひ尓こ楚

櫻花の かをるまゝ能 も登尓

明治二十年四月十五日 七十五叟 鹿島則孝 談

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