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天狗党の墓

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記事ID:0050135 更新日:2022年9月29日更新

天狗党の墓

名称 天狗党の墓
時代 幕末
場所 鹿嶋市大字宮中字宮中野3576-4
説明

鹿嶋市の西側、北浦を望む四谷墓地のはずれに「天狗党の墓」と呼ばれる墓があります。江戸時代末期、水戸藩で諸生派と天狗党(勤皇派)の対立がありました。攘夷を掲げて筑波山で挙兵した天狗党は、一部が鹿島に結集し、幕府軍との抗争を繰り広げました。元治元年(1864)、幕府追討軍によって捕えられ下生(鹿嶋市大字宮中字下生)で23名が打ち首となり、大掾辺田の馬捨て場に運ばれて埋葬されました。その後、明治11年(1878)頃に有志により「殉難諸士乃墓」という石碑が建立され、地域住民の清掃作業などにより守られて、今に残っています。

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