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鹿島新當流
鹿島新當流は、国摩真人を始祖とし、剣聖塚原卜伝を流祖とする古武道です。日本の武道発祥の地、鹿島に上代から伝わる武道として永い歴史と道統を有しています。
―国摩真人(くになずのまひと)―
宗家の吉川家に伝わる系譜によれば、天児屋根命(あめのこやねのみこと)から十代嫡流に「国摩大鹿島命」があり、「伊勢鹿島両宮神祇伯祭主」の要職にあったとされており、その子雷大臣命が鹿島に土着して吉川家の始祖となりました。その四世の孫が「国摩真人」とされています。
国摩真人は鹿島神宮の高天原に祭壇を築き、日夜熱心な祈祷を捧げて祭神タケミカヅチ神の韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)の法則、「神妙剣の位」を授かったと伝えられており、これが日本の武道の発祥であると言われています。国摩真人が授かった武道は「鹿島の太刀」として吉川家に継承され、時代を経るにしたがい、「鹿島上古流」、「鹿島中古流」と呼称されました。
―塚原卜伝(つかはらぼくでん)―
時代を下って中世になると、延徳元年(1489年)に、鹿島中古流を伝える宗家吉川家の二男として塚原卜伝が生まれました。卜伝は、懇望されて塚原城主土佐守安幹の養子となり、実父吉川覚賢と祖父呼常から「鹿島中古流」を、養父土佐守安幹から「香取神道流」を学び、更に鹿島氏四家老の一人、松本備前守政信に師事して剣を学びました。元服後に廻国修行に出発し、諸国での修行を経験して鹿島に戻り、鹿島神宮に参篭して一千日「心新たにして事に当たれ」との神託を受けて、鹿島中古流の極意である「一の太刀」を開眼したと言われています。この「心を新たにして事に當れ」という言葉から、卜伝の伝えた流法を後に「新當流(鹿島新當流)」と称し、現在に伝わっています。
卜伝は、その後も全国を回って修行を重ね、真剣勝負19度、出陣37度に及んだと伝えられています。「五百年来の無双の剣豪・剣聖」といわれ、門人には足利将軍の13代義輝・15代義昭、細川幽斎、北畠具教、諸岡一羽、松岡兵庫助などがいたと言われています。
晩年は郷里の鹿島に戻り、83歳で生涯を閉じました。墓は鹿嶋市須賀の梅香寺跡にあり、鹿嶋市の指定文化財になっています。
―特徴―
鹿島新當流は、塚原卜伝が剣の真髄の追及に生涯をかけたことから剣を主体に構成されています。その特徴としては、甲冑武道を基礎として想定された実戦的古武道で、甲冑の弱点とされる小手、喉、頸動脈、上帯通し等を突く(或いは切る)ことによって相手を制します。「身は深く与え、太刀は浅くして心はいつも懸りにて在り」と伝えられています。
現在、鹿島新當流は宗家吉川家に継承され、鹿島新當流彰古会によってその形が保持されています。
鹿島新當流の形 「面太刀 三ノ太刀」
鹿島新當流の形 「突身ノ太刀」