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飯沼海道

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記事ID:0050056 更新日:2021年3月29日更新

江戸幕府は五街道(東海道・中山道・奥州・日光・甲州)を中心に、各地を結ぶ道を整えていきました。常陸国は水戸を中心に街道が整えられ、水戸街道・岩城相馬街道・棚倉街道・結城街道・飯沼海道などがありました。
飯沼海道は、常陸国水戸―鹿嶋―下総国飯沼村(銚子:飯沼観音)間を結ぶ21里(約84km)の幹線道路で、水戸~鹿嶋までは「かしま道」と呼ばれる鹿島神宮参詣の道であり、神栖~銚子までは、「てうし(ちょうし)道」と呼ばれる当時の人々の信仰の道でもありました。

飯沼街道の画像

では、飯沼海道は鹿嶋のどこを通っていたのでしょうか。近代・現代になるにつれ、新しい道が整備されたりなどして、かつての旧道がどこであるか、その全容を確認することが難しくなっています。ここで、平成25年度に「古人と語る会」の皆さんが、現地調査をして作成した、かつての飯沼海道を探るルート図ご紹介いたします。

飯沼街道鹿島ルート図の画像

避難所混雑状況