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かげきよの松
かげきよの松
平景清の娘が創建 源平合戦の戦死者弔う
鹿嶋市北部の棚木地区の集落に、平家の武将の娘が創建した大福寺があります。うっそうとした樹林に囲まれ、鳥のさえずりが聞こえてくる、心落ち着く空間です。 大野村史などによりますと、源平合戦に敗れた平景清(かげきよ)は日向国(宮崎県)に隠れていました。日向に来た娘の人丸に対し、景清は十一面観音像を手渡しました。人丸は宮崎から鹿嶋まで長い旅路をへて、1189年に大福寺を創建しました。合戦の戦死者を弔い、女人救済に努めたといわれています。境内には、人丸の墓「妙庫塚」が残されています。寄木造りで、金色まばゆい十一面観音は1977年に県指定文化財となりました。大福寺の近くには、「景清の松」が残っています。別名「棚木の一本松」とも呼ばれています。人丸が松の大木に小枝で棚を作って観音を安置したと伝わってきました。これが、「棚木」という地名の由来ともなりました。
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