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片野遺跡出土 馬の線刻土器
馬が描かれた線刻土器
令和8年の干支の午にちなんで、馬の絵が線刻された土器をご紹介します。

上の写真は、平成元年(1989)~平成2年(1990)に鹿島神宮駅北部の土地区画整理に伴う埋蔵文化財調査において、厨台遺跡群の片野遺跡(現在の鹿嶋市緑ヶ丘一丁目付近)から出土した土師器杯の一部で、平安時代の竪穴住居のカマド跡から発見されました。

推定口径約20センチメートルの杯の側面に馬の頭と前足付近が細いヘラのようなもので描かれています。結髪のたてがみや、胸に鞍を固定するための馬具(胸懸)をつけている様子から、乗馬用として飾られた馬と思われます。
向かって右側の脚をあげて、左側に描かれた木の枝のようなものに近づこうとしている姿でしょうか。小さな破片のために全体の様子は不明ですが、絵巻物に描かれる動物画と同様、躍動感にあふれています。
「鹿嶋郷長」と書かれた墨書土器
片野遺跡からは、他にも杯の底に「鹿嶋郷長」の文字が墨書きされた土器(墨書土器)も出土しています。

古代の律令体制下の行政体系は、
都(平城京・平安京)
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国(常陸国の国府は現在の石岡市)
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郡(郡役所=郡家は鹿嶋市内の神野向遺跡)
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郷・里
のようになっていました。鹿島郡は『倭名類聚抄』『新編常陸国誌』では18郷とあり、鹿島郷は現在の鹿嶋市宮中・大船津ほかにあたります。郷長は、現在の町村長にあたり、郡司の命令を受けて郷民の税の徴収・兵役・労働奉仕(雑徭)の徴発などの業務を行いました。「鹿島郷長」の墨書土器は、片野遺跡に郷長建物の存在を窺わせます。周辺の遺跡からも帯金具7点、銅鈴、「中臣宅処(成)」「神厨」の墨書土器なども出土しており、片野遺跡は鹿島郷の中心であると考えられています。

上の地図は、片野遺跡の位置を示したものです。現在は開発により地形が変わっていますが、往時は厨台の台地上の西側に位置していました。厨台の台地の麓には「鹿島七井」を始めとする多くの湧水群があり、東から西に流入する御手洗川が古代には豊かな流域を形成していたと考えられています。
参考文献
- 『鹿島町の文化財第92集 鹿島神宮駅北部埋蔵文化財発掘調査報告XIV ー土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査一LR9 (厨台遺跡群・片野地区)』 財団法人鹿嶋市文化スポーツ振興事業団 平成7年3月31日発行
- 『図説 鹿嶋の歴史 原始・古代編』財団法人鹿嶋市文化スポーツ振興事業団 平成18年3月1日発行










