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天狗党終息の地―敦賀

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記事ID:0050086 更新日:2021年3月29日更新

西へ…

鎮圧側であった武田耕雲斎は、もともと攘夷派に心を寄せていたこともあり、天狗党の筑波勢と合流し、総裁となって陣容を整えた千人余と共に、11月、京都の一橋慶喜(禁裏守衛総督)を頼って西へと向います。下野から上野に至り、上野を横断して信州に至り、和田峠を越えて南下、馬籠から美濃を横断、美濃の国境の蠅帽子を超えて越前に入り、12月11日敦賀に到達します。厳寒の中、戦闘を交えながらの行軍でしたが、それに耐えてきたのは尊皇攘夷の素志を訴えるためでした。

しかし、彼らを待ち受けていたのは頼み綱であった慶喜を大将とする追討軍でした。17日ついに全軍は降伏します。加賀藩からは丁重な扱いを受けましたが、最終的には370人余りが死刑、130人余りが流罪その他は追放など過酷な処分となりました。

討つもはた 討たるるもはた 哀れなり 同じ日本のためと思えば

(武田耕雲斎 辞世の句)

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