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縄文人の祈り

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記事ID:0050025 更新日:2023年2月1日更新

縄文時代の人々は自然と共生した生活を送っていました。自然は恵みをもたらしてくれると同時に、人間にはどうすることもできない大きな災害をもらたらす力を持ったものでもありました。そうした自然への畏怖の念からアニミズム信仰が生まれ、祭祀が行われるようになりました。

鹿嶋でも祭祀に使われたと考えられる土偶などが多く出土しています。

土偶 ―どぐう―

土偶は妊婦や女性を象った物がほとんどで、割れた状態で見つかる例が多く、安産等を祈り、身代わりにするために割って捨てられたものなどであろうと考えられています。

鹿嶋市宮中の片岡地区に、縄文時代の集落跡の片岡遺跡があります。この遺跡から、頭・肩・胴部がバラバラの状態の土偶が見つかりました。この土偶は、乳房がふくらんでいることから女性を表わしていると考えられます。

片岡遺跡の土偶も儀式のために割られたものなのでしょうか。発掘調査で発見されたことにより、約3500年ぶりに頭と胴体がくっついたことになります。

(右:片岡遺跡出土 土偶実測図)

片岡遺跡出土 土偶実測図の画像

鹿嶋市内から出土した様々な土偶

土偶の画像

石棒 ―せきぼう―

土偶は女性を表わすとされていますが、石棒は男性を表わし土偶と同じように縄文時代の呪術に使用されたと考えられています。

石棒は縄文時代前期に出現し、縄文時代後期終末から晩期にかけて頭部の形が抽象化されて、やがて石刀や石剣へと変化しました。鹿嶋では、発掘調査で発見された例はありませんが、出土地不明ものや、地区の小さなお社の御神体として伝わる石棒があります。

石棒の画像

 

岩偶 ―がんぐう―

 粘土で作られた土偶に対して、石を加工して作られた人形の像を岩偶と言います。その出現は土偶より古く、すでに旧石器時代の頃から、人物を表現したと考えられる石製品が確認されています。しかし、土偶と違って、縄文時代を通して継続的に作られたものではなく、出土例も限定的です。

厨台遺跡群の岩偶「くりやっほー」

 鹿嶋市厨地区の厨台遺跡群からは、国道51号線バイパス工事などに伴う1980年~1990年代の発掘調査で、縄文時代中期のものと推定される岩偶が発見されています。軽石製で高さ、幅共に約5.3cm、重さは約42g。目と口に見える穴と、左手を上に突き出したポーズがムンクの「叫び」のようにも見えます。

くりやっほー

 厨台遺跡近辺で作られたのか、別の場所で作られたものが持ち込まれたのかはわかっていませんが、全国的に見ても類似のものは発見されておらず、遺跡近辺で作成された可能性もあります。

 令和2年に茨城県立歴史館の特別展での展示の際にポスタービジュアルに抜擢され一躍脚光を浴びました。令和4年には愛称の公募が行われ、全305件の応募の中から「くりやっほー」に決定しました。現在は鹿嶋市どきどきセンター(鹿嶋市粟生2242-1)に展示されています。

避難所混雑状況