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明治4年 宮中村の火事

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記事ID:0050260 更新日:2021年3月29日更新

ここでは明治4年~明治12年にかけて起こった宮中村の火事について書かれています。

読み下し文

(1)同四年辛未二月二十五日、南風吹夜、大町、北宿山中より出火

大町、数軒類焼す。近年、稀なる大火なり。施與同上。

(2)​同年、十二月朔日、深夜桜町、中根某より出火、四軒類焼す。

同月、二十日夜、祭事殿(米盛和一郎亮道邸中、旧名祭當殿なり)及び護国院・普濟寺など焼失。三ヶ所とも、つけ火也。但、類焼はなし。

同五年、壬申、二月四日、深夜、構内内田蔀宅焼失、つけ火也。類焼はなし。

同十一年、戊寅、三月十七日、夜、桜町宮本作右衛門、物置より失火。つけ火なり。七軒類焼す。

明治十二年、(中略)十一月五日夜、小神野治行家焼亡。但つけ火也。同人は、茨城県下、上市に住居にて、栗林の旧宅には、留守居某居たるが、その夜は他処に止宿すと。惜むべし秀行朝臣の像、焼亡す。

解説

(1)〔意訳〕明治4年2月25日大町地区で数軒を類焼する火事が発生した。近年稀にみる大火だった。

(2)〔意訳〕明治4年12月1日深夜、桜町の中根という家から出火し、4軒が類焼した。同月20日夜には、放火により米盛氏の邸宅の祭事殿と護国院・普済寺が焼失し、翌年2月4日にも放火により内田氏の家が焼失した。

明治11年3月17日にも放火により桜町地区の宮本氏の物置から出火し、7軒を類焼する火災になった。

また明治12年11月15日夜、放火により小神野氏の家が焼失し、秀行朝臣の像が惜しくも焼亡した。

明治4年~12年にかけて随分多くの放火が発生していますが、当時の宮中村の人々はどれほど不安だったでしょう。

小神野氏の家と共に焼失したという「秀行朝臣の像」とは、武甕槌神(鹿島神宮の御祭神)が鹿島から春日大社へ向かわれる際に供として同行した中臣秀行の像だと思われます。

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