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慶應二~慶應三年 雀の戦争と宮中村の火事

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記事ID:0050257 更新日:2021年3月29日更新

慶應二年 雀の戦争

読み下し文

  • 慶應二年、丙寅、七月中旬、日々宮中にて、宮下辺、雀の戦争あり。
  • 双方に烏一羽づつ、将帥の如く見えたり。
  • 数日にして止む。
  • 明治元年、本国及び総野近刻に、戦争ある凶兆にや。

解説

慶應二年(1866年)7月に則孝公が見たという「雀の戦争」の様子が綴られています。「宮下」とは、鹿島神宮北側に隣接している地区です。雀の群れに、双方カラスが一羽づつおり、まるで指揮官のようだったとあります。
なんだか可愛らしい様子にも見えますが、則孝公は、数日続いたこの雀の戦争は、「明治元年(1868年)の戦争の凶兆だろう」と書いています。

1868年は慶應4年であり明治元年です。江戸から明治へと時代が移行していく中で、日本各地で旧幕府勢力と明治新政府勢力との争乱が起きました。

慶應三年二月 宮中村の火事

読み下し文

  • 同三年、丁卯、二月十九日、西南風烈しく吹く。
  • 夕七ッ半時頃、中町、伊兵衛後家同居、某宅より出火。
  • 同町及び桜町五軒町、又構内笹沼栄三郎など類焼す。
  • この散火、予が宅の家根へ五ヶ所燃え付き、ようやく消し止めたり。
  • 立原常足よく消防せり。今夜、風北に替り雨降る故、早く鎮火。

解説

ここでは慶應三年2月に起こった宮中地区の火事について記載されています。夕方七ッ半時頃(5時頃)に中町(仲町)から出火した火災は、西南の激しい風に煽られて仲町地区5軒・桜町地区5軒等に燃え移り、則孝公の家の屋根にも火の粉が燃え付いたと書かれています。

慶應三年十一月 宮中村の火事・大鳥居の炎焼

読み下し文

  • 同、十一月二日、五軒類焼。二ノ鳥居、炎焼す。
  • これ、先十月晦日夜、則瓊君隠居後にて、狐コンコンと二聲啼たり。
  • 又後に聞けば同夜には、大町にても狐コンコンと啼きたり。凶兆か。二度とも焚出し飯等施こす。

解説

同じ年、11月にも民家5軒が類焼する火事が起き、鹿島神宮の大鳥居も被害にあったことが記されています。前月末日の夜に父則瓊公の隠居の裏で狐がコンコンと鳴いたこと、また大町でも狐が鳴いていたとのことで、則孝公はこの狐の鳴き声は「凶兆か」と書いています。

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