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「江戸幕府崩壊の前兆」

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記事ID:0050249 更新日:2021年3月29日更新

ここでは文久二年(1862年)に多くの人が目撃した怪奇現象について書かれています。

読み下し文

文久二年壬戌七月十五日、夜四ッ時頃より数星、北方よ里南方へ飛行す。其色、白黄赤青紫等にて、大小あり。幾千万といふをしらず。其中に至て低きは、人家の屋根程、或は軒端ほどゝも云う。の所を飛びたり。いずれも光り赫熒たり。又、暁にも同じく飛たり。此時、大祝松岡時懋は、江戸にて見たり。諸人皆恐怖せしと。

暁の分は、植松永躬氏、佐倉にて、見たりと。また、本郡北郷の人某は、利根川の下り船中にて同時に見たる由。

同年、月未詳。上総國、九十九里の海浜へ姥貝、又ポン貝共云、夥しく打寄せられ数里の間、堤を築たる如しと云う。里人は食料にもなし、また、肥料にもせしと云う。

昔、天正年中、相州の海浜に、貝の多く寄たる事あり。ほどなく、小田原の北条滅亡せしかば、此度も凶兆ならんと里人共云ひしが、幾ほども無く、徳川氏江戸を去り、上総片貝村に一揆蜂起し、亦々、舊幕府の臣等脱走して、同国、姉ヶ崎、其他所々に於て戦争あり。

解説

(1)まず一つ目は、文久2年(1862年)(「坂下門外の変」と同じ年)の7月15日に、大小の様々な色をした幾千万の星が、北から南に飛行したことが記されています。これはただの星ではないようで、低いものは民家の屋根や或いは軒端のあたりを低空飛行するものもあったと書かれています。この奇妙な流星群の目撃者は沢山いたようで、大祝家(鹿島神宮社家)の松岡時懋氏が江戸で、植松永躬氏(神宮の関係者か?)が佐倉(千葉県佐倉市)で、また鹿島郡の北郷の人が利根川の船中で目撃したと書かれています。松岡時懋氏は「諸人みな恐怖せし」と、江戸の民衆が恐れ慄いている様子を語っています。

(2)次に、同じ年に九十九里の海岸に、姥貝が大量発生した話が掲載されています。文久2年(1862年)にまるで堤防を築いたかの様に数里に渡って姥貝が大量発生した様子、地元の人々が「昔、天正年間に相州(神奈川県・相模灘)に貝が大量発生し、その後ほどなく小田原の北条氏が滅亡したが、今回も何かの凶兆ではないか」と噂をしている様子が伝聞で記されています。そして北条氏のごとく、この怪事の後に徳川氏も江戸を去ることとなったのだと記しています。

避難所混雑状況