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「桜田門外の変」「水戸浪士の鹿島来襲」

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記事ID:0050247 更新日:2021年3月29日更新

読み下し文

「桜田門外の変」
(1)万延元年庚申、三月三日大雪降る。寒気厳し不順也。今日江戸桜田門外にて、水戸浪士等、大老井伊掃部頭を殺害す。

「水戸浪士の鹿島来襲」
(2)文久元年・万延二年辛酉二月廿八日改元、正月十三日。水戸藩士大高彦二郎、大津某等の附属共、藩士浪士等多人数なり。神宮廣前して、狼藉、神楽太鼓を打破る。此時大高等は、御手洗にありてこれを知らず。後に聞き恐縮して、中野仲之介と云ふ者をして、謝言有之。

後年、根本寺に浪士共屯集の濫觴なり。

解説

(1)万延元年(1860年)に起きた「桜田門外の変」について、「今日」のこととして綴られています。

(2)そして翌年(文久元年:1861年)に水戸浪士の大高彦二郎・大津“なにがし”に率いられた者達が、鹿島神宮の広前で神楽太鼓を打ち破る狼藉をはたらくという事件が起きたことが記されています。大高彦二郎らは御手洗池の方にいたためにこの事態を知らずに、後から聞きつけて神宮に謝罪したとあります。そしてこれは、元治元年(1864年)に起こった鹿島での天狗党騒動の始まりだったとしています。

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