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「鹿島と江戸の暴風雨」

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記事ID:0050246 更新日:2021年3月29日更新

ここでは安政3年(1855年)8月25日に起きた暴風雨について書かれています。

読み下し文

(1)同三年丙辰八月廿五日、昼より雨降り、初更の頃巽の風強く吹出し、三更の頃甚しく、南風になり又西風も交り、鹿島山内の、松、杉、百二十七本折る。廳場にては大杉、根より倒れたり。神木の大杉も大枝折れ、又宝庫の棟へ杉折れ掛り破損あり。予が、台所も棟を損じ、表座敷東側の軒口を損ず。雨は早く止みたれども、風は長く吹荒れたり。則文自身とよく働き、座敷向雨戸を〆防御候故、破損少し。

村田弥大夫家も潰れたり。素立にて、家根のみ葺き、未だ壁を付け不由へなり。(2) 宮中民屋も七軒、顚倒す。息栖にても、新規家作中の家、四、五軒倒たり。大舟津にも倒家ありと云う。同所、一ノ鳥居倒れ掛りたり。六十年来覚え無き、大暴風也と云々。

江戸は別て大荒。本所深川高輪辺、洪波深さ五六尺。内海の洪波にて、行徳辺より上総迠、浦々同断にて、人家多く倒れ又流れ、人畜多く死亡す。

同九月七日、予も出府なし。八幡より行徳迠の田地へ洪波来り。荒跡見るに、忍ばざる有り様也。

解説

(1)ご神木の枝や松や杉が127本折れた他、根から倒れた大杉もあるほど大風であったことが記されています。

また、民家も倒壊し(宮中(鹿嶋市宮中)の民家7軒、息栖(神栖市息栖)の建設中の新築家屋4~5軒、大船津の民家など)、大船津にある鹿島神宮の西の一の鳥居も倒れ掛かかるほどの非常に強い暴風雨であったと記されています。

(2)またこの台風により、江戸では洪水が発生し、東京湾の水が行徳(市川市行徳)から上総(房総半島の真中あたり)まで人家を押し流し、多くの人と家畜が亡くなったと書かれています。則孝公は洪水の数日後、9月7日に八幡(市川市八幡か)から行徳(市川市行徳)までの津波の跡を見て、「忍ばざる有様なり」とその惨状を綴っています。

避難所混雑状況