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鹿島みろく

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記事ID:0050055 更新日:2021年3月29日更新

「鹿島みろく」は、鹿嶋市や神栖市などで近年まで盛んに行われていた鹿島地方に伝わる民俗芸能です。
その歌と踊りは、主に地域のおばあさん達によって行われ、伝えられてきました。

みろく うたみろくおどり
 (昭和40年代の練習風景)

昭和の終わり頃までは多くの地区で行われていましたが、ほとんどが廃れ、現在市内では2~3地区が継承しているのみになっています。
現在も活動している大町地区では、70歳以上の女性たちが「お酒盛り」と称して、月に1回程度集会所に集まり歌と踊りを続けています。かつては地域の神社の例祭や、一夜講(いちやこう)という仏教行事の際などにこの踊りを奉納していました。
地区によって少しづつ歌詞が違っていたようですが、大町地区のみろくでは「ミロク様が海の向こうから船に乗って幸福を運んでくる」という信仰と、地元の鹿島の神様を讃える内容が混ざり合った歌詞になっています。

ここで昭和48年発行の『鹿島文化特集号第十二号』に掲載された大町地区のみろく歌の歌詞の一部を紹介しましょう。
 其の三「みろく」
 世の中は萬劫末代 弥勒の船がつづいた
 舳艫には伊勢と春日 中には鹿島の御社 ありがたや息栖お森は黄金社壇
 打つて輝く後には 清き神等 前には女瓶男瓶
 あの御座船 香取は四十余の御社 音に聞くも尊しや 一度は参り申すべく候よ
 金三合撒かうよ 金三合は及びござらぬ
 米三合撒かうよ 何事も叶え給えや 常陸鹿島の神々様

(音声データ)
http://kashimashi.info/bunkazai/wp-content/uploads/2015/09/miroku.mp3

この歌詞に併せて下の絵のように振付がついています。

振付「みろく」

※画像をクリックすると大きい画像で確認できます。
(昭和48年発行『鹿島文化特集号第十二号』より転載)
すべての歌詞と振付を確認する [PDFファイル/249KB]


伝播の画像

 「鹿島みろく」は、不思議な事に神奈川県南西部や静岡県東伊豆地方に伝わる「鹿島踊り」や、千葉県南房総地方に伝わる「みのこおどり」と歌詞・楽器などの共通点がみられます。
これは、江戸時代に盛んに行われた「鹿島事触」の影響ではないかと言われています。鹿島神宮には、鹿島神宮で占った結果を全国に知らせて歩く「鹿島事触」(かしまのことぶれ)という活動を行っている集団がいました。「鹿島事触」は、鹿島信仰を広げるために、御幣を背負って町々を歩き、踊りを踊って人を集め、御神札を頒布したと言われています。

この時に踊った神事芸能が「鹿島踊」の始めとも言われています。その踊りの内容は明らかではありませんが、「鹿島みろく」の歌詞が使われ、「鹿島踊」として各地にそれぞれの形で伝承されているのではないかと考えられます。

鹿島踊の画像1
(名古屋市博物館所蔵)

上の絵図は、文政十年(1827年)に名古屋城下で行われた祭りを記録した『御鍬祭真景図略』の中に掲載されている「鹿島踊」と題された図です。この「鹿島踊」の絵図の説明書きには、名古屋城下の人々が「鹿島禰宜」を意識した出で立ちで祭に参加し、鹿島踊を披露したことが書かれています。当時も、「鹿島踊」が鹿島から離れた土地で流行していた様子が伝わってきます。
更に続きのページには、左端に白一色の衣装の人物が巻物を開いて託宣を述べる様子が描かれており、「事ふれ」と説明されています。ここから当時の「鹿島事触」のイメージを窺うことができます。

鹿島踊の画像2
(名古屋市博物館所蔵)

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