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佐竹氏の台頭と大掾平氏一族―鹿島氏の敗退とその後

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記事ID:0050050 更新日:2021年3月29日更新

佐竹氏は源義家の弟義光を祖とする常陸国の名族で、常陸国南部を押さえる大掾平氏(ダイジョウヘイシ/大掾氏・鹿島氏・行方氏等)に対し、常陸国北部から奥州南部に勢力を伸ばしていました。

天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原攻めが行われ、常陸国からは佐竹氏が参陣した一方、大掾氏・鹿島氏・行方氏・江戸氏らは、北条氏(小田原城主)との関係から参陣を見合わせました。それは東国における北条氏の強大な軍事力と、過去の実績を評価し、形勢を窺おうとしたものと見られます。

結果として、北条氏は秀吉に滅ぼされ、秀吉方についた佐竹氏は秀吉から常陸国を安堵されました。佐竹氏は、江戸氏や大掾氏を滅ぼし、天正19年(1591)に秀吉から許可を得て鹿島氏・行方氏・島崎氏等の大掾平氏一族らをも滅ぼして、常陸国を手中にしました。

後の元禄15年(1702)に新井白石が著した『藩翰譜(はんかんふ)』には、「秀吉から許しを受けて悦んだ佐竹義宜は急いで国に帰り、饗宴を口実に三十三人の国人(常陸国の新治・筑波・真壁・河内・志太・行方・鹿島の7郡に住む領主ら)をことごとく集めた上で切り捨て、彼らの領地を併せて所有し、天下6人の大名に数えられるまでになった」との記載があります。

鹿島城は、佐竹氏の武将・町田備前守の軍勢に攻められて落城し、鹿島氏の遺児伊勢寿丸は、下総へと落ち延びました。

―佐竹氏の鹿島支配―

天正19年(1591)、鹿島氏を破った佐竹義宜は、鹿島郡を分家の東義久に所領として与えました。東義久の子である義堅(よしかた)は慶長元年(1596)正月に鹿島神宮門前の宿割・屋敷割を行いました。

  • 鹿島神宮大宮司の屋敷を海辺(うべ:現在の鹿嶋市立鹿島小学校付近)から境内に隣接する桜山(鹿嶋市宮中)へ移す。
  • 境内の南側に形成された桜町に、おおむね神官を配置。
  • 大鳥居の前の大宿(大町)に、神官・修験・旅籠・商家を配置。
  • 鹿島城の大堀の南側に沿うように形成された角内町に、事触れ(のちに御師になる)・商家を配置。
  • 大町の南側に形成された中町(仲町)に、商家・神官・鍛冶師を配置。

また、鹿島城を修理して代官の居所としました。

(なお、その後大宮司の願により鹿島城のお堀が一部埋め立てられて、慶安5年(1652)4月に新町が区割りされました。このように鹿島神宮門前の宮中五か町が誕生しました。)

鹿島神宮門前

―佐竹氏のその後―

その後、佐竹氏は関ヶ原の合戦で石田三成に組していたために、徳川家康に慶長7年(1602)に出羽国(秋田)に国替えを命じられ、常陸国を去りました。

天正18年(1590)以降、水戸城には江戸氏に代わって佐竹氏が居城していましたが、佐竹氏が常陸国を去った後は、家康の五男・武田信吉、家康の十男・長福丸(後の徳川頼宣)、家康の十一男・鶴千代(後の徳川頼房)が順に水戸城主となりました。

なお、徳川頼房は、水戸藩の初代藩主となり、寛永11年(1634)に鹿島神宮に楼門・回廊を奉納しており、その楼門は現在、国の重要文化財に指定されています。

鹿島神宮楼門

―鹿島氏のその後―

佐竹氏が常陸国を去ると、鹿島氏の旧家臣たちは、家康に鹿島家の再興を願い出ました。嘆願に応じた家康は伊勢寿丸を鹿島神宮惣代行事の職に復し、伊勢寿丸は「幹連(もとつら)」と名乗って、旧城内に住むようになりました。

その後、幹連(伊勢寿丸)は若くしてこの世を去ってしまいますが、外孫の国分胤光が鹿島氏を継ぎ、鹿島氏は、鹿島神宮神領の三支配の一家として神領を治め、江戸時代を通して鹿島神宮の惣代行事を務め、明治時代を迎えました。

鹿島氏に仕えたかつての家臣たちの多くは、郡内の地縁のある所に移って帰農するかたわら、在地の知行主の支配を受けながらも、年賀や鹿島神宮の流鏑馬祭に射手として奉仕するなどの旧主家・鹿島氏への忠勤を続け、鹿島氏も「旧臣廻り」と称して、上郷(郡北部)下郷(郡南部)を一年おきに巡回して労をねぎらうなどの交流があったといいます。

※惣代行事(そうだいぎょうじ)…鹿島神宮の警察担当の神官。養和元年(1182)に源頼朝から鹿島政幹が鹿島神宮の惣追捕使(そうついぶし)に任命され、のち正平23年(1368)鹿島幹重の時に惣代行事という名称になった。鹿島氏が代々世襲した。

参考文献:

国立国会図書館デジタルコレクション 『藩翰譜 第8下―9上』
鹿嶋市教育委員会発行『図説鹿嶋の歴史 中世近世編』
鹿島町発行『鹿島町史 第1巻』(昭和47年発行)「大掾支族鹿島氏」「戦国大名と鹿島」

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