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古墳時代の集落跡
鹿嶋市の南部の木滝台遺跡(稲荷台遺跡)についてご紹介します。昭和52年に実施された発掘調査で、古墳時代の住居跡が29軒と集落を南北に分断するような大きな溝の跡が確認されました。木滝台遺跡は、古墳時代前期のもので、現在鹿嶋で確認されている中で、最も大きな集落跡です。
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発見された大溝からは、大量の土器や、獣骨・近海で捕れる貝類や魚の骨などが出土したほか、魚を捕る時に浮きや錘(おもり)として使ったと見られる土玉や軽石などの道具類も出土しました。古墳時代の鹿嶋の人々が、道具を使って動物や魚貝類を捕って生活していた様子が分かります。
この他にも大溝からは、日常生活では使わないようなミニチュア土器や土製の勾玉等も出土しました。これらは何らかの祭祀に使われたものと考えられています。
また、大量に出土した土器類も完形の土器が多く、この大溝自体、単なる集落のゴミ捨て場ではなく、祭祀的な要素が強いものであった可能性が指摘されています。この時の発掘調査報告書では、
大溝がある程度生活に密着した場として構築されていたものと想定することができるが、大溝の中に完形品も含め大量の土器を投棄するという行為は、如何なる観念の表れであろうか。土器を含めて溝の中に投棄するという行為はせっかく掘った溝を埋めてしまう結果になるのだが、あるいは投棄すること自体に意味があったものか、いずれにしてもゴミ捨て場として使用する観念とは異なるものだったと考えられる。
また、祭祀として考えた場合、原始農耕にみられる祭祀形態とは異なった、村落共同体的な集団の機能に基づく、言い換えれば政治的社会を築き上げていくための観念を維持していくための祭祀形態を有するものと考えることができるのではないだろうか。(『鹿島町の文化財第6集 木滝台遺跡桜山古墳埋蔵文化財発掘調査報告書』P205)
と報告しています。
≪木滝台遺跡から出土した土器類≫ 鹿嶋市どきどきセンター
遠い古墳時代、この木滝の台地に住んでいた人々は、集団で集落を形成し、狩猟や漁労を行いながら、この大溝で何らかの祭祀を行い、祭祀によって結びつきを強め、村落を運営していたのでしょうか。
参考文献
『図説 鹿嶋の歴史 原始・古代編』
『鹿島町の文化財第6集 木滝台遺跡 桜山古墳 埋蔵文化財発掘調査報告書』