鹿嶋市
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ホームタウン



ホームタウン(鹿島開発)

産業的には半農半漁の町であった鹿島が大きな転機を迎えたのが、昭和30年代後半に茨城県によって始められた鹿島開発です。

交通の不便さから陸の孤島といわれた鹿島地方に、「貧困からの解放」「農工両全」をスローガンに掲げて、港湾の築造と臨海部への工業団地の造成、市街地形成と農業団地の造成等を柱とし、30万都市建設を目標に巨大開発の波が押し寄せました。これにより、対象となった鹿島、神栖、波崎の三町は大きく姿を変えることになりました。

全体的には、鉄鋼や石油などの基礎素材産業を中心にした重化学コンビナートが港湾部に張り付き、これまでに150社を超える日本を代表する企業が立地しています。そのうち鹿島町には、住友金属工業梶i「住友金属」「住金」)を中心に、鉄鋼をメインとする製造業種が進出してきましたが、コンビナートの中心部は港の大半を擁する神栖町になりました。

いずれにしても、これにより千古の歴史と近代技術の粋という二つが、鹿島町の新しいイメージとなったのです。



開発前の海岸線

[開発前の海岸線]


鹿島港中央航路の掘削

[鹿島港中央航路の掘削]


現在の住友金属工業専用埠頭

[現在の住友金属専用埠頭]


空から見た鹿島臨海工業地域

[空から見た鹿島臨海工業地域]



【参考】

○当時の人口  旧鹿島町16,000人  旧大野村11,500人

○現在の人口  66,449人 (H24.4.1 常住人口)

  *神栖市(旧神栖町・波崎町)  94,156人 (H24.4.1 常住人口)

○開発によってしばらくの間、進出企業関係者を「新住民」、もともとの住民を「旧住民」と呼ぶ時代が昭和60年頃まで続く。



鹿島開発の大まかな経過
主な出来事
昭和36年
鹿島臨海工業地帯造成計画(マスタープラン)策定
昭和37年
県、地元三町で開発用地取得のための一部事務組合を結成
昭和41年
工場建設始まる
昭和44年
鹿島港開港、企業で一部操業開始
昭和48年
第一次石油ショック
昭和50年
人口の伸びが、横ばい気味になる

 ・鹿島 37,126人
 ・神栖 29,974人   合計 99,816人
 ・波崎 32,716人

  

昭和53年
第二次石油ショック
昭和59年
県が開発収束宣言を出す




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